おさしず検索


畑林やす身上願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上心得ん/\。いかな事情であろうと言う。まあ一寸どういう事、何よの事にも道という上からである。道という上からである。身上一寸事情一つさしづ貰たらなあ、どういうさしづあろうか。身上から尋ねる。尋ねるからさしづ。さしづは幾重幾度のさしづも変わりた事あらせん。なれど、皆取りよで変わる。さあだん/\長らえての間道すがら、よう/\と思えば/\、それそれ一つ事情は何であろうと皆思う。なれど、これから中という理諭す。皆惣々中諭す。あちら/\道という、根差したる/\修理という、この修理は大層々々なれど、急えてはいかん、急えてはならん。皆天然という心どんと定め。急えてはならん。そこで身に掛かる。身に掛かるからさしづ。成るよう行く行かん。これ無い。これまでどういう事こういう事から、道二様。あち一人という理二つになり、どうも治まらん。なれど、これからすればすっきりなりたる。これからという、一人重たる理、かくれたる者、後々大事という心台。それから天然で成り立つという心。皆惣々心供え、あちら中、こちら中、いろ/\中通りたる。成らん中通りた理は、皆受け取ってある。これから聞き分け。順序道はこれから。二派という理ありてはならん。そうやなあと言うてした処が、どうもならん。とんといかんと言うても、どうもならん。これから道、後々台として、皆手を繋いで救けてやらにゃならん。又、後聞き分け。理無くして持たるものやない。手を繋ぎ理ありて、これ一つに止まる。又、身上聞き分け。こうなれば、どうなろうこうなろう、と必ず思うやない。未だ/\理あるによって、どんと心定め。これだけ諭したら、どんな理もあるによって、聞き分けてくれ。
【説明】
(1) 国々所々教会が設けられ道の理は、あちらこちらへ広がっているが、これは道の種が蒔かれたというだけで、まだ成人には程遠い。この修理は大層であるけれど、先々に十分理の映るようにするには急いでもいかんから、天然自然を持つよう心をどんと定めてくれ。 (2) 皆まちまちの心を供えて、あちら中こちら中と通って来ている。しかし、ならん中を通ってきた理は神が受け取ってある。これからは順序を立てて、二派にならんようにせよ。二つ一つの理に添いきり、思い思いの心を起こさぬように。 (3) これからの道は、あとあとの台として、皆先々までも手をつないで通れるよう、たすけてやらにゃならん。初代の理を立てることと、皆が一手一つに心をつなぎ合わすという理が、これが一つになることが大切である。決して案じてはならない。
【摘要】
教会史を読ませていただくと、ほとんどの大きな教会は一度二度と、厳しい財政的な窮状を通りぬけて来ている。教会が財政的に困難な事情に面して、直接その問題についておさしづを仰ぐということは、非常に少ないようである。しかし、そのようなのっぴきならぬ苦しい事情の最中にあって、身上を通して会長、あるいはその家族、また役員などにおさしづを頂いているのが、かなりある。すなわち、そのおさしづに基づいて理に徹しきるところから、当面する教会の財政上困難な事情も解決を見、また身上のご守護もいただくという場合が多い。本項では、既に取り上げられているおさしづを除いて、いくつか教会史に照らして取り上げさせていただいた。  それらのおさしづの内容を要約させていただくと、 (1) 先案じせずにたんのうして通らせてもらう (2) たすけ合いの心で一手一つに心をつなぐ (3) 大きな心になって将来を楽しんで通る (4) どうなってもという一つの心(踏ん張る心)を治める (5) 運んだ理のこうのうは末代の理であると悟る このようなことが大切であると教えられている。

TOP


お道のツール