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十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願

さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか。理を変えて居るもの世上にまゝある。この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう。一文字でも理が変わりたら。堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来ん。つとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事。すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、これは半文字もいかんで。

押して、再版の事願
さあ/\理の変わる事すっきりならん。理が変わらにゃ、上が下になるやら、下が上になるだけ。理が変わらんよう。

十二下り解釈講社一般へ出す事の願
さあ/\尋ねる処/\、今一時どうとは言えん。何よの事もじっとして居るがよい。今世界からどうやろうかこうやろうか、一つの気が立ったる。そこで理というものは、読みようで変わる。一時暫くこのまゝで行くがよい。世の中時々の道理変わる。世上の悪気、心変わる/\。変われば世界撫で廻しても、何処も優しきものやで。
【説明】
「みかぐらうた」は教会本部のできた明治二十一年より版本として発行されている。    なお明治二十四年七月三十一日、二十六年三月三十一日のおさしづなど参照。 (2) 明治二十九年四月の秘密訓令以降、おつとめのつとめ方も変わって来ている。たとえば「あしきはらい」の部分のお手は行われていない。ここで、おつとめの地歌である「みかぐらうた」の本文も直すというようなことであるならば問題であるから、特にこのように戒められた。  独立運動のために松村吉太郎氏と中西牛郎氏がつくった「みかぐら歌釈義」は、明治三十三年九月に内務省に提出されている。この時はおさしづで「心置き無う一時出すがよい」と言われた(明治三十三・七・一四)。天理教の教えは、このようなものであると説明する文書と、信仰の基準となる教義文書とは、おのずから区別して扱わなければならない。
【摘要】
編纂・出版のおさしづは、ほとんど教会本部に関係あるものである。それゆえ、ここでは、これらのおさしづによって、われわれの心がけるべき点が探らせてもらえるようなものを揚げた。よくわからないおさしづもあるので明確に述べにくいけれど、大体、次のような点を諭されている。 (1) どんどん盛んにすべきであるが、それがお道のためになるか、どうかという点を考慮する必要がある。 (2) 言ってよいこと、わるいこと、出版してよいもの、わるいものがあるので、よく内容と発表する場を検討する必要がある。 (3) お道の出版物は、誰が読んでもわかるようなのがよいので、念を入れて、かえってわかりにくくなるということのないようにしなければならない。 (4) 責任者に重荷がかかる場合があるが、誠心誠意一つ一つ事に処して行けば、必ずご守護があるものである。 (5) 教外者がお道について書いた出版物は、別にどうこうはない。

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