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上原佐助小人出物の障りに付願

さあ/\尋ねる事情/\、事情から一つ理を尋ねる。さあ/\皆んな子供という。子供に一つ事情、身の処いかなる事も、そら思わにゃならん。尋ねるから明らか諭そう。もう道というは、小さい時から心写さにゃならん。そこえ/\年取れてからどうもならん。世上へ心写し世上からどう渡りたら、この道付き難くい。何程の処どれだけこれだけと思う。年重ねた運んだら何処から何処までと思う。そら取りようでころりと違う。子供から道に赴かせば順序分かる処から、惣々まで諭そう。深き処要らん。深い事あれば、どうしてこうしてと違うてならん。小さい時から心赴かして、これはどんな事も出け。元ありて元、道があって楽しみ。身に障り無くば十分楽しむ。障り/\、心から障りと言う。よう聞き分け。身上案じる事要らん。いつ/\まで所にこうして居られん。元へ立ち越して帰らにゃならんと、子供まで赴かし、そら、所は退き難くいなれど、心から定まれば、定まる。これだけ諭したら、何も彼も籠もりある程に。よく聞き分けるよう。
【説明】
(1)上原佐助氏(本部員・東大教会初代会長)の長男義彦氏は、当時十二歳で下谷小学校四年生であった。尋常小学校は明治三十三年八月より四年制に統一され(明治四十年三月より六年制に改まる)、義彦氏は年が明ければ進学期を迎えるという、いわば子供の将来を決する修学の大切な時期であった。 (2)東京は全国より向学の士の集まる所、その東京をあとにぢばへ引き移ることは「所は退き難い」であろう。しかし道というものは、子供の時から信仰心を写さねばならない。相応の年になって世間のことに心移り、世間をどう渡ろうかと世渡りについて心煩わすようになってからは、この信仰の道はつきにくい。親の身にとっては、どれだけこれだけの仕込みをし、どこからどこまで学問就業をさせようと思う。しかし、それは取りよう考えようで違う。子供の時分から道の信仰にしむけていけば順序がわかる。深い学問はいらん。物知りになれば、とかく、どうしてこうしてと理屈に走り、人間心に流れて理を違えるようになる。小さい時から道の信仰に心を向けていけば、将来どんなこともできる(「東大教会史・第一巻」参照)。
【摘要】
後継者については、先に教会の項で取り上げた。しかし、そこでは教会担任後継者の選任について述べた。ここでは教会子弟ならびに一般子弟の後継者養成の問題について考える。  子供や青年子女を道のよふぼくとして育てるには、親あるいは道の先輩たる者は、どういう心遣いや通り方、導き方をしなけれならぬか、この問題についておさしづに現れた神意はどうであるか。この点に関するおさしづを検討すると、次のような点が強調されている。 一、 道の信仰は幼少より仕込む必要があること。 (1) 相応の年になってからは世間のことに心煩わす、そうなってからは信仰の道につきにくい。子供の時分から道の信仰にしむけていけば順序がわかる。信仰の根を養うようにしてもらいたい。 二、 導き育てる者の心がけ。 (1) 育てる者は真実の心がなければ育たない。親が怒っては子供は育たない。 (2) よふぼくに育てるには年限がかかる。気長に導いてもらいたい。それには修理肥えが必要である。 (3) 幼年・若年の者を粗末に扱うことなく、幼少の者ほど、わが子より大切という心で育ててほしい。言葉一つにもよふぼくを育てる力があるから、注意して導いてもらいたい。 (4) この道は一代の道ではなく、末代の道である。理の親子も、肉親の親子も、親となり子となるいんねんによってなるものである。 (5) 心の磨き合いに当たっては、義理や体裁で治めることはしないでほしい。低い心で人のことを、自分から先に立って行うひのきしんの態度が根本となる。 三、 導かれる者の立場。 (1) とかく若い者は未熟であり、勝手な心遣いをすることがある。親があるので子がある。という理を考えてもらいたい。親の理を忘れては道とは言えない。若者が神の話を知らぬようではならぬから、しっかり仕込んでおくことが肝心である。

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