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永尾よしゑ身上のぼせに付願

さあ/\だん/\事情尋ねる。身上に事情心得ん。時々という、又静かと言うやろ。こらどういう事であろう。日々越す日々暮らす事情というは、何か事情集まりと、女々と何か事情、どうも一時捨てるに捨てられん。放って置くにも放って置けん。今までと風変わりて、我も/\という理であろう。そこで、一名一つ/\、又数々という。どんな事も心に掛けずして、優しい心神の望み。悪気々々どうもならん。何か悠っくり育てる心、道である。悠っくり育てる心、道である/\。皆々心も同じ事、育てにゃならん。育てゝ順序及ぶ/\。身上案じる事要らん。心悠っくり持って、此処にどういう、彼処にこういう、寄り来る者大切。こうして居たら、とうとうそりゃ要らん。寄り来る者大切、又、他からありゃどうという心、曇り持ってはならん。育てる道である。これ聞き分けて、皆々同じ心、万事そも/\ではどうもならん。女でありゃどう、そりゃあろうまい。あろうまいが、又寄りて来るとも分からん。男女によらん。道の台一つから。存命教祖、ほんに物貰たら、こりゃどうしょうやら知れん。何のためやろ。何のためやったら喜ぶやろと言う。人に満足さすは、教祖の理。貰たさかいに/\と言うて、これでよいわでは、後の種切れる。持って来れば当り前、持って来ればよいでは、後々防ぎ出けん。この心、皆惣々に持ってくれ。身上案じる事要らん。しっかり踏ん張って居る。

手を打ってから
さあ、もう一声々々、一つ点打って、後々へ聞き分け。どういう事、成るも成らんも、たゞ一つの道から成り立った。よう聞き分け。もうこれだけ成ったら/\、大丈夫という心は違う。楽の道は通りよい。さあ、しんどいなあと言うて、一服して、寒いで火を焚いて、まあ一服々々というようになったら、何思ったて、彼を思ったて、どれだけ焦ったて、どうしたて、明らか道楽しむ事出け難くい/\。これ聞き分け。どんな事及ぶも、道からという心無けにゃならん。外へ力入れて居ては、薄うなる。どれだけ世界の道やと言うて心寄せて居ては、神の道薄くなると諭し置かにゃならん。あれはこれだけや取り違いやなあと言う。又中にもあろう。これよう聞き分けてくれ。
【説明】
永尾よしゑ、本席様息女。 昔の苦労の道を忘れず、現在楽の道になったとし、もうこれだけなったら大丈夫とのぼせ上がる(高慢)になってはいけない。やさしい心で信者を満足さして育てて行けという意味で、「のぼせ」は所謂のぼせあがってはいけないと指示されたのであろう。筆者の子供の頃の追憶によれば、永尾先生宅に使いに行くと、何時でも沢山のだちんをいただいてうれしかったが、今にして思えば、こうしたおさしづをいただいていられ、それを実行されたためであろう。
【摘要】
頭についてのおさしづを要約すると、人間思案(特に高慢の心)を捨て、親神の思し召しに素直にそいきり、幾重の中もたんのうして通れという意味のものが多いように思う。一言にして申せば、理の考え違いを戒めていられるように思う。考え違いを引き起こすもとは、めいめいの欲の心であり、何について理の考え違いをしたかは、その人のいんねんによるのである。身上かしもの・かりものの理をよく思案し、教祖のひながたをしのび、自分がおたすけいただいた最初の道すがらを忘れずに通れば、考え違いがなくなり、日々たんのうの心がおさまり、陽気ぐらしができるであろう。

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