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明治二十年一月九日(陰暦十二月十六日)より教祖身上一寸御障りつき、御やすみになり、同一月十八日(陰暦十二月二十五日)の夜よりおかぐらづとめ並びに十二下り始まり、二月十七日(陰暦正月二十五日)夜まで、毎夜おつとめあり、又二月十八日(陰暦正月二十六日)正午十二時より教祖の御身上迫りしに付、それよりかんろだいにておかぐらおつとめ、あとへ十二下りのてをどりあり。その時真之亮より詰合いの人々へ、だん/\御談示の上「おつとめの時、もし警察より如何なる干渉ありても、命捨てゝもという心の者のみおつとめせよ」と仰せあり。それより皆々心を十分定め、その用意して、おつとめに掛かりたる者、地方 泉田藤吉、平野楢蔵、神楽 真之亮、前川菊太郎、飯降政甚、山本利三郎、高井猶吉、桝井伊三郎、辻忠作、鴻田忠三郎、上田いそ、岡田与之助(宮森与三郎)、お手振り 清水与之助、山本利三郎、高井猶吉、桝井伊三郎、辻忠作、岡田与之助、鳴物 中山たまへ(琴)、飯降よしゑ(永尾)(三味線)、橋本清(つゞみ)の人々なり。家事取締の任に当りたる者、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、梶本松治郎にて、以上総人数十九人なり。おつとめは午後一時より始まり、二時に終る。右おつとめの終ると共に、教祖息を遊ばされずなる。それより内蔵の二階の中にて、飯降伊蔵により御伺あり。

さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。右の御話あり、これより御葬祭の拵えに掛かる。

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