おさしず検索


畑林やす四十九才身上願

さあ/\尋ねる/\事情尋ねる。身上の処一時迫ると言う。さあ/\何よの事も一時なろまい。どちら眺めてもこちら眺めても、堪えられん事情であろ。堪えられん事情であろ。何たる事と一つ思うやろ。さあ身上が迫る。どうなろやら知らん/\と思う事情であろ。よく事情喰い止め/\。どうでもこうでも成るという一つ理、こんな事と思うやない。前々諭しもあろ。一度二度諭しある。ほんにと思えば、又一つ事情。又候々々と思う/\。すっきり思うやない/\。さあ/\一代ではない、後々と言う。これ一つ後々治め。何したんとさら/\思うやない。後々道という、末代という理から成り立つ。先々どうと思う。思てはなろまい/\。よっく聞き分け。一時迫りて運んでくれ。さしづ貰てくれ/\。尋ねるから諭す。こんな事と更に思うやない。世界にどういう、どういう事もこういう事も、成らん事思うてみよ。この道世界から駈け付く/\。互い/\の理を結んである。この理聞き分け。身上迫りて何の楽しみあろまい。さあ/\身上一時どうとあろまい。早く/\諭してくれ/\。何程思たて成ろまい。又成るという理治め。さあ世上眺め。世上眺めばたんのう治まる。たんのう治まらにゃならん。一時迫る処、一寸踏ん張る。一寸踏ん張らにゃなろまい。これ諭してくれ。
【説明】
(1) この道は一代ではない。あとあと運んで治めた理は末代である。何をしたやらと思うではない。あとあと続いて道なのである。この道は末代という理から成り立ってくるのである。先々どうなろうかと案じてはならない。 (2) この道は世界から集まってくるように、互い互いの理を結んである。今、一時に案じたとてなるものやない。しかしいずれ成るという理があることを心に治めるよう。世界を見たら、この道ほど結構なものはないとたんのうの心が治まる。また、たんのうの心を治めて通らなければならない。神も踏ん張るから、皆も踏ん張るように。
【摘要】
教会史を読ませていただくと、ほとんどの大きな教会は一度二度と、厳しい財政的な窮状を通りぬけて来ている。教会が財政的に困難な事情に面して、直接その問題についておさしづを仰ぐということは、非常に少ないようである。しかし、そのようなのっぴきならぬ苦しい事情の最中にあって、身上を通して会長、あるいはその家族、また役員などにおさしづを頂いているのが、かなりある。すなわち、そのおさしづに基づいて理に徹しきるところから、当面する教会の財政上困難な事情も解決を見、また身上のご守護もいただくという場合が多い。本項では、既に取り上げられているおさしづを除いて、いくつか教会史に照らして取り上げさせていただいた。  それらのおさしづの内容を要約させていただくと、 (1) 先案じせずにたんのうして通らせてもらう (2) たすけ合いの心で一手一つに心をつなぐ (3) 大きな心になって将来を楽しんで通る (4) どうなってもという一つの心(踏ん張る心)を治める (5) 運んだ理のこうのうは末代の理であると悟る このようなことが大切であると教えられている。

TOP


お道のツール