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兵神分教会役員と部内の方との事に付事情願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\理の集まったる中に、理が治まらん。理が治まらんとは、どうも心得ん事情である。治まらんと言うやない。理があって治まらん。どうもならん。皆それ/\の者が、どういうものでこういうものになる。治め方というは、暫くの処どうも一時にどうと言えばいかん。一時に言い立てば大変事情である。どうもならん。暫くの処心を運び、事情々々成る処成らん処までも十分行て、奔走一つ心に持って、何でも彼でも日に/\便り、日に/\詰めるよう。暫くの処どうでも運び切ってやらにゃならん。中に一つ結ぼれてある。理が勤まらんから勤まらん。よう聞き分け。真実芯の理と顔の理と、この区域々々分からん/\。真実一つ理が分からん。思い立ったる者呼び、どういう理で治まらんかと伝えてくれば分かる。一時にどうと言えば大変である。理から治まらにゃならん。聞いた理も落すというは、治まらんから。顔の理と芯の理と、理に治まらんから良いかと思えば又治まらん。どうでもこうでも暫くの処育てゝやらにゃならん。

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さあ/\尋ねる処/\、顔の理と心の芯の理と、これ二つ区域からなる。放って置けんというは顔の理、芯に理あれど顔に理無い。これ心に持ってから治まり難くい。これ真に聞き分けにゃならん。
【説明】
(1) 兵神初代清水会長が専心本部に勤めるようになったので、富田伝次郎氏が明治三十二年四月五日副会長に、次いで同三十三年一月八日二代会長に就任したが、それまで清水初代会長の名義であった兵神分教会の敷地及び建物等、その基本財産を富田伝次郎氏名義にすることに対し、元からの直属役員は富だけに対するある種の不信感から反対し、部内教会長らもまた、その直属役員の言を是とせず大層もつれた。結局名義問題は直属の役員十名の名義にしたが、もともと直属役員と部内教会長は道一条になる時、部内教会長はすべてをつくして裸になって道一条に進み、直属役員はすべてそうとは言えないという、道一条への両者の経緯が異なるところから心が合わなかった(白藤氏談および「教会史資料(一)」参照)。 (2) 治め方というのは一時に治めようとしてもいかん。急いで一時に言いたてれば、かえって事情が大きくなる。しばらくは事情がもつれているところでも十分足を運び、心がけて日に日に治めて行くように。 (3) 部内教会長の理と直属役員の理。 (4) 直属役員と、部内教会長と二つの区域ができている。直属役員の方が主だとか、部内教会長には理があるが直属役員には理がないとか、お互いにそういう心をもっていては事情の治まりはつきにくい。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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