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教校開校式陽暦一月七日に致し度く、それには県知事始め高等官及び署長招待致し度き儀御許し願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\何処彼処々々々々順序あら/\と言う。さあ急ぐ移す/\。まあそこえ/\出来たら移す。早く/\移さにゃならん。一寸仮という、仮なら一寸仮の事にするがよい。一寸仮に大きい事してはならん。式という、心の式を行え/\。表の式は要らん。心の式を行えば、何も仔細は無い/\。これよう聞き分けて思やんして、ほんに成程と治まれば、許し置こう。

押して、仮にさして頂きます、と申し上げ
さあ/\尋ねる処、こうという処はせにゃならん。どれだけどうという事は要らん。これも成るだけ/\。一つ許したら、十まで許したように運べば、もうさしづはせん。さしづせなんだら、どうなるとも分からん。皆憎い者は無い/\。皆可愛から言うのや。これ万事聞き分けにゃならん。

その通りさして頂きます、と申し上げ
さあ/\心だけ。些かやで、軽くするのやで。
【説明】
(1) 当時の天理教校は教師の養成を目的とした四年制の学校で、明治三十三年四月一日開校式が行われた。同年五月新校舎建築にかかり、翌三十四年一月七日仮校舎より移転と共に、盛大な開設の祝典が行われた。 (2) 必要なことはしなければならないが、どれだけしかければならないということはない。分相応にしたらよい(決してそれ以上してはいけない)。一つ許したように解釈して実行するなら、もうさしづはしない。
【摘要】
「教政」という項目には、教会を治めて行く上での政治的事情のおさしづが入る。その大部分は神道本局との交渉関係のものである(これは全部本部関係のものであるゆえ、ここでは省略する)。ここには、広い意味の教政の中で出張の項目に入らないものを雑然と上げさせてもらった。教会本部関係のもの、一般教会の場合に適用される悟りが得られると思われるものを含めた。  具体的に言うと、 (1) いろいろ先回り、先案じをするのはよくないので、誠心誠意低い心になって事に当たるべきである。 (2) 悪でも善で治めることが大切である。 (3) 社会のしきたり通りで済むことは、その通りにする。 (4) 社会の人々の心に納得と安心が行くようにする。 (5) 事情がどういう事情か見分けて、お道として当然なすべきことは、旬々の理に従って対処しなければならない。 というような点を、お諭しになっておられる。  また関心の高まっている対社会問題については、ここには載せてないが日清・日露の両戦役に関するおさしづ等も参考になろう。一般的に言って、応法と言われるような事情については、付き合いとして処置せよというお諭しが多い(「あいそ」という言葉が使われている)。あまり社会的問題に深入りしないように戒められ、常に神一条の精神でたすけ一条の事情として処置することの必要を強調されている。

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