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片岡留吉四十六才身上願(南紀支教会部内有井布教所担任)

さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上と言う。さあ理を尋ねる。さあ/\尋ねるからは皆々心と言うものあろ。よく聞き分けにゃ分からんで。さあどうせにゃならんこうせにゃならんとはさしづの上に諭せんで。たゞ心次第と一つ諭したる理聞き分け。どうでもいかんこうでもいかんは理であろ。中に道のためと言う心あってこれまでの道通り来たる中にどう言うものであろ。道運べども身上心得んなあと日々思う中、こんな事と思う。この理些か持たず、身の内かりもの聞き分けて、又先々までも諭す。かりものと言うは身上に理がありてならんがかりもの。一時未だどうとはないなれど、長い日の間にしいかり心に踏み止め。一時ではないなれど余程大層。よう聞き分け。こゝまで尽した中にこんな事ではなあ、世上に何と思う。それでは折角道尽した理無になる。道があったこそなあと言う心持ってくれ。人間かりもの聞き分け。又それ/\の中元々と言う親あろ。その親の心にしいかり聞き分けて、ほんにかりものと言う。日々の中沢山有ったて、何程日々裕福でも、身に不足ありて楽しみはあろまい。これ聞き分けにゃならん。又傍々からもしいかり諭せにゃならん。身上一時どうとは無いなれど、余程大層。人間は一代やない。一代と思てはならん。理は末代と言う。この理聞き分けて、しいかりこの心楽しんでくれるよう。

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