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上原佐助娘ふさ先日のおさしづに従い備中笠岡の方へ引き取り、川合家を立てさせ度く願

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情いかなる事、皆それ/\どういう事こういう事心に尋ねる。事情尋ねるから、万事何かの心、さあ身の事情、何も思う無いもの、それ/\皆々中の理である。一つ心の理休めて、休まるようの理を運んでやるがよかろう。

押して、年内余日も無之、事務御休み後佐助参り取り決め致し度き儀願
さあ/\尋ねる事情/\、出越す事情こう思う事情、皆々寄せて、これがよかろうどうがよかろうと、心々の理に運んでやるがよい。鮮やか事情を運んでやるがよかろう。さあ/\許し置こう/\。
【説明】
(1) このおさしづの十九日前の十二月五日、上原佐助娘ふさ身上願に「家中それ/\“もう思い/\の日を送りてきた。…一つ心を合わせ、道ならこそという」と仰せられる。五日のおさしづに従い、ふさ姉を笠岡の方へ引き取り、川合家を立てさせたいと伺った。 (2) 川合家を立てさせたいとのことであるが、何も案ずることはない。皆々内々のことである。心の休まるように運んでやるがよい。  川合家は三重県伊賀上野にあり、前沢屋(前清)という屋号をもつ藤堂家の御用商人であった。兄、川合清助氏に実子がなかった。(「天理教笠岡分教会史」参照)。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。

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