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御供の事に付おさづけの上より一統協議致し、種々教長へ申し上げ、教長のお話し下されし上より、洗米に改めさして頂き度き事に付、一統決議の上御願

さあ/\/\尋ねる事情/\、尋ねる事情は皆々の心の中も余儀無き事情であろう。一時の処と言えば、暫くと言うであろう。まあ長らえての事情、道という、あちら変わりこちら変わり、流れる水も同じ事、ごもく流れて澄んだ水流れば道という。濁りた水はどうもならん。ごもくばかりや。澄んだ処僅か。皆々の心煩うであろう。一日の日良き処皆待って居る。又皆々皆々心病んであろう。道という、理という、皆々それ/\心という。年限重ねば道という理という、理で澄んだ水と言うて聞いて、ごもく流れる時に共々流れて了うてはならん/\。澄んだ理は、その時のりきもつになる、りきもつになる。これ一つ心年限の間に、又皆々の精神、三つ今一時立て合い、何処も此処も皆一同の中の煩い、天地の間の煩い。身体も一つ、温みも一つ、風も一つ、どう成ろうこう成ろう、境である。皆々の心何でもこうという心無くばならん。事に及んだる。よう聞き分け。一時泥水の中で、澄んだ水待つ心、そこで願通り皆々の心、道という心という二つ理。それでならん処無理という事情、ごもくの中の濁りた水飲まりゃしょうまい。いつ/\までどう、いつ/\までこうと言えば、なか/\苦しまにゃならん。こうと言えばこう成る。どうと言えばどう成る。成らん/\中と言う。中と言えば、成るよう行くよう道と言う。何処も濁りた水は飲まりゃせん。澄んだ水は飲める。そこで、どう成りてもこう成りてもという投げ出しの心、暫く未だ早い。どうこうなりと、今の処皆々の心に委せ置こう/\/\/\。

本席の御身上に付、おさしづの上より一統相談致し、今後心得さして頂きますから、此方で日々勤め下さる方にも注意致しますからと願
さあ/\/\尋ねる処/\、前々事情に一言万事話したる。さあ/\日々の処当番詰番、何処から眺めても彼処から眺めても、一つ理一つ所、身の内の処、そこで機嫌界にして暫くの処/\、さあ/\当分である。もう日々の処気の勇む処、些かの理である。未だ/\これではどうもならん/\。そこで一人機嫌界にしてじっと遊ばして置くがよい。日々の処当番詰番すれば厳重なもの。厳重なものは心悩ます。心にどうもならん。夜分一人の処二人という。一人の処二人というは、そりゃどういうものなら、理はそこにある。一人泊まりという、一人泊まりは、どうでもこうでも無けにゃならん。日々心休まするは、心という機嫌界にして、暫くの処じっと休ますがよい/\。

洗米御供幾粒ずつにして包めば宜しきや願
さあ/\それはもう当分の処、ほん話の理のようなもの。御供というは大変の理なる。皆々も聞いて居るやろ。さあ/\何も御供効くのやない。心の理が効くのや。気の休め、心の理の休まりに出したるものや。すれば分量計りた薬味に出すのやない。どうしたてこうしたて、何も言やせん。三つ/\これだけ知らして置く。出すがよい、出すがよい。

教祖御前に三粒供えるのでありますや
そうやない/\。たっぷり供えて三摘み/\/\入れて、後へ三粒々々。

押して、三つまみ入れて三粒入れますものか
それでよい、それでよい。暫く/\、世界何と言うたて、おめも恐れもするやない。ほんの凌ぎに出すのや/\。この道というは何がいかん、彼がいかんと言うは、道減らすようのものや。何も減ったのやない。多くの中不思議やなあ、不思議やなあと言うは、何処から見ても不思議が神である。これだけ一寸言うて置こう。

をびや御供は是まで通り金米糖御供にさして頂きますや願
さあ/\これ/\、そりゃ尋ねにゃならん。一事万事、一つ泥水は同じ理、澄んだ水澄んだ水というは一つ理。これだけこうどれだけどうと言えば、澄んだ水とは言わん。分からん/\。それは一寸も違わんようにしてやってくれ。それは構わんそれは構わん。神が守護する理や。安心のものやで。
【説明】
(1) 道と言い理と言うても、それに添う心が肝要である。年限重ねているのであるから、お前たちは道の理もわかっていると思うが、親神の働きで澄んだ水になると聞いても、塵埃が流れる時に大切な御供の理まで一緒に流してしまってはならない。御供は心を澄ませて受けてこそ、りきもつになるのである。 (2) 御供というものは、何も御供そのものが効くのでなく、それを受ける心の理が効くのである。だから、気休め心休まりのために出したものである。したがって、分量を計って出す薬のようなものではない。だから、どうすればよい、こうすればよいと細かなさしづはない。ただ「三つ三つ」にしてくれるように。 (3) 教祖の前には十分供えて、包む場合三摘み入れて、そのあとへ三粒入れるように。 (4) 当分の間、干渉が続くであろうが、世間が何と言うても、しりごみをしたり恐れることはない。金平糖を洗米に変えるのも、ほんのしのぎに、そうしたまでのことである。「何がいかん、彼がいかん」と形式に捉われては、道の理を減らすようなものである。形が変わっても、親神の働きの理に変わりはない。多くの者が御供を戴いて「不思議やなあ」という、その不思議な働きこそ親神の姿である。
【摘要】
(1) 御供はハッタイ粉、金平糖、洗米と形は変わっても、親神の働きの理に変わりはない。大勢の者が御供を戴いて「不思議やなあ」という、その不思議な働きこそ親神の姿である。 (2) 御供は洗米を三摘み入れ、そのあとへ三粒入れて、紙に包んで出す。 (3) 御供を戴く心構えとしては、 ○元一つの理を心に治めて、順序を運んで下げて戴くように。 ○よく見分け、聞き分けて御供を渡すように。 ○御供を大切に扱うことが第一肝要。大切にすれば、するだけ理が働く。 ○心からたすかってもらいたい、という真実をこめて渡すように。 ○御供が効くのではない。それを受ける心の理が効くのである。 (4)金平糖御供を廃止するよう内務省から干渉を受けたが、それについては、およそ次のように述べられている。     ○どうもならんところ、無理なところも、道の理に心の理を合わせて通るように。踏ん張れるだけ踏ん張ってみよ。     ○この事情は、あたかも塵埃が流れるようなものであるが、その時に大切な御供の理を、一緒に流してしまってはならない。     ○干渉をおめ恐れることはない。一時しのぎに御供の形は変わるが、親神の働きの理に変わりはない。

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