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過日のおさしづにより、一同協議の上第一部下を養成するに対し、以前教会に関係ある本部員整理のためその教会に赴き、関係の無き教会は教長の命により、神様の御許し頂戴の上それぞれ教会に養成するため出張する願

さあ/\尋ねる事情/\、前々の事情から一つ理を尋ねる事情、いかな事情も尋ねにゃ分からん。さあ/\よう皆々心にしっかりと心に治め。道というものは、成程という理持たにゃならん。先々と言うであろう。遠く所と言うであろう。人間業で出来ると思うては違う。人間業で出来るものやない。遠き所は遠き所のように計り、一目に見て居る。そこで先々先ずどれだけの事になろうという。これを皆よう聞き分け。一年二年三年、皆揃うた年は無い。苦しみの道通りてこそ立つ。大きく成る。これから、大き心を持ってくれにゃならん、持ってくれにゃならんの処、一々物を持って行て、どうとは出来ようまい。そこに一つの情愛という心ある。一人救けたら万人救かるという心持ってくれ。一人狂うたら万人狂う。成らん事せいとは言わん。一人救けりゃ万人救かるという理、心に治めにゃならん。何が違う。幾国何人あろう、元一所。子供、一人育てば皆々育つ。一人潰せば皆潰れる。長い道筋の間、年々に寄り合うた。変わりた話、変わりた話と思うやろう。そうやない。前々から、田の中、野中の事思うて見よ。神は嘘は言わん。教祖存命伝えたる。年限まで切って聞かしたる。これだけのもの、どれだけのもの、金持ったて世界に拡げられるような事はない。これは皆、神の守護。楽しみ中も違わん。楽の中に苦しみという。苦しみの処、通り抜けにゃならん。元々から大きものは無い。一年は一年、二年は二年、三年は三年の理、見えて無くば嘘である。そこで皆々心を持って、こうもせにゃならん、どうもせにゃならん、と、めん/\の心に持ってくれにゃならん。時聞き分けて談じ合い/\の心、水も漏れんよう十分運べば、神の守護と言う。神の守護は珍しきもの。暫くの間難し、困難、道も困難、世界も困難。辛抱という、元の心見てやれ。これから見れば、どんな辛抱も出来る。年々に重なりたる。これを、しっかり聞き分けてくれ。皆成らん中からする肥、肥というものは、早い目からせにゃ、出来やせん。どんな艱難も踏ん張りてくれ。

教祖の二十年祭も近づき、表門西へ石垣を築き塀を設け内部の設計致し度く願
さあ/\まあどうなりこうなり、これだけどれだけ、どうせにゃならんとは言わん。皆々精一杯にして居る処は見て居る。なれども、年限思えば、もうなあという心あれば、心だけ許す。無理にどうせいとは言わん。時という、旬という、世界から見ればどんな事も見て居る。成らん事無理にせいと言うた処が出来やせん。もうこれだけと言う。皆心、一つの心に成りてくれ。一つに成れば強いもの。そも/\の心は、どうしてやろうこうしてやろう、と言うたとて、出来ん。そこで暇が要る。もうこれから、皆心というは、一人の心にようあれだけの心を揃うたなあというは、世界にどんな事も映る。これをよう皆々の心に持ってくれにゃならん。

しばらくして
さあ/\ちょと一言言うて置く。まあ年を明けたら何年になる。これではいかんというは、十分の心。成るだけ許すと言うてある。なれども、よう一つ成るだけの事、心だけ許す/\と言う。まあ、ちょとの働き/\、日々世界からよう出来るなあと言う。一つ中にどうであろう、まあ心によう/\と言う。あれかいなあと心に微かにほっと見える。世界の理よいはなあと、そこで一つ夜が明ける。夜が明けたら、そらなあと言う。楽しむ日が、つい見えてあるのやで。これを、ほのかにちょと知らし置く。

先刻のおさしづ一人の心から万人救かるという処は、先々担任教師の事を仰せ下されたるものかと申し上げる
さあ/\皆々これ多くの中所々国々という、まあ、あの者かいなあと言う。所々の理、そこで心の使い方、心の使い方、たゞしどんなもある。人と言うたら一人と言う。一人救けたら万人救かる。皆これだん/\に国々へ廻りて見て居る。一人の中に三人五人も何十人もあると言う。その中の心散乱の心なって、何ぼう言うたとて、心から出る者はどうも仕様が無い。今日は西とも東とも分からん心ある。それはその中の理、苦しんだ者の中に、一人でも誠結んで、聞き分けて居る者無いとは言えん。元一つの心から、どんな者も出来る。その心見てやれ、聞いてやれ。これは種に成る程に/\。ほんに今までと言う。今はなあ、今はこういう道で、今日はどうしょう明日はどうしょうと、落ち着いて了うた者もある。道に離れられず、道に付いて居た処がなぁと言う者もある。一寸々々と言葉でなりと満足与えば、それから一つ理も分かって来る。成程という心持ってくれ。あんな者こんな者と言うて了うてはならん。これがいかんあれがいかん、と言うは、道の疵と言う。あちらが曇り、こちらが曇りするから、暇が要る。折角細道付け、これだけこう成るは容易で成るものやない。道のため、今日の日行かんと言うて送りて居る者もある。種というは、些かのものから大きものに成る。年々に作り上げたら、どれだけのものに成るやら知れん。しっかりと心に聞き分けたか。
【説明】
(1) 明治三十五年七月十日、天理教会取締条規が制定され、かつ全国を十教区に分かち、現在の教務支庁制度の初めての形ができた。明治三十七年九月十七日には巡回宣教規定が設けられた。このおさしづは部下教会育成に当たって本部より派遣するについての伺いである。教会に関係ある本部員がその教会に出張り、関係者のいない教会には新しく真柱(教長)の任命する修理人が決められ、それぞれ担当教会へ巡教することになったのでお伺いした。 (2) 道というものは、なるほどという理を持たねばならぬ。人間業でできるものではない。遠い所は遠い所のように守護している。 (3~4)道は苦しみの道中を通ってこそ盛大になるのである。これから大きい心持ってくれ。しかし一々物を持っていって、どうするということはできない。そこに情愛というものがある。一人たすけたら万人たすかり、一人狂うたら万人狂うのである。修理人は、このことを心に治めておいてくれ。さて、どこの国に幾人の信者がいようが、元はぢば一所である。子供一人育てば皆ほかは育つ。一人潰せば皆潰れる。この道は長い道すじの間に年々人が集まって、今日の道の理が栄となっている。これは存命の教祖のお働きである。いくら金をもって広げようとしても、世界に広げられるものではない。皆親神の守護にほかならぬ。 (5)早い日から肥をせねばならぬ。ならん中から肥をせねばならぬ。どんな艱難の中も踏ん張って通ってくれ。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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