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加藤文右衞門長男文二郎九月より足の障りに付、親共おさしづ頂き度きため上和致し願(日本橋分教会役員)

さあ/\尋ねる事情、さあ/\身上という、尋ねる事情いかな事であろうと思う。さあ/\事情よう聞き分けにゃ分かり難ないで。さあ身上不足になって、これはどういうものと思う。何程頼めど、どれだけどうものと思う。何頼めども、どれだけどうこれだけこうしても、一時身上速やかならん。余儀無く心の理で尋ねるであろう。よく聞き分けにゃ分かり難ないで。さあ人間という、身の内という、身上はかりもの。あちら人にも諭して居るであろう。めん/\心に治めを付けにゃならん。成っても成らいでも、これいんねんという。前生一つ持ち越し。又身上不足なって何の楽しみは出来るものやない。さあ成らん中のたんのうがさんげ。これ前生いんねんのさんげである。さあ/\何程裕福に暮らしても、身上不足なって楽しみがあるか。これで治まりが付くか付かんか、よう思やんしてみよ。又一つ、さあどうなってもこうなっても思う中に、これ一つ聞き分け。親という子という中に、親は子に、必ず難儀さそう不自由さそうという親は有るか無いか、よう思やんしてみよ。さあ人間はかりものたった一つの心我がもの。この理聞き分け。成程という一つ理が、日々のうちに持ってくれにゃならん。これまでどうして来たこうして来たというは、浅き心である。身上叶わずして、どうこう言うても、どうなるか。この理よう聞き分けにゃ分からん。何よの事も、この一条の理にある。さあ身上大層、余程大層。この理しっかり聞き分けたら、先ず暫くとも言うと、さしづして置こう。

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