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本席後台所にて増野正兵衞の持参せし教祖二十年祭場の絵図面に付、教長、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、山中彦七、飯降政甚等居合わせし者種々協議の折俄かのおさしづ(時は午前十時半)

今度は、内々は皆大きな心に成れ。何が無うなっても構わん。大きな心に成ってくれ。この事を、待って/\待ち兼ねて居た。後は大きな事に成る。何も心に掛ける事要らん。皆々心配せい/\。心配は楽しみの種、一粒万倍という事は、もう疾うから諭し置いたる程に。
【説明】
(1) このたびの二十年祭については、道の者は皆大きな心で通ってくれ。目前の事柄のみに心とらわれるような小さな人間思案は捨て、神一条の大きな心になってもらいたい。神はこのような旬が来ることを待ちかねていたのである。だからお前たちが、この神の思いにしっかり添うて通りさえするならば、今後の道は大きく伸びゆくのであって、何も人間思案からの心配などはいらないのである。大切なことは、いかにして神の思いに添いきるかということに心を配ることであって、そのような真実の心遣いが一粒の種となり、その一粒の種は将来万倍の理となって見えてくるのである。このことは、以前からも諭しておいた通りであろう。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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