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教祖二十年祭は明年陰暦正月二十五日翌日大祭執行願

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情は、皆々心寄った一つの話、皆々一つ事情、それはその通りに、願通り/\許し置こう/\。

本部大裏北の川より北へ南向きにて二十間四方の祭場、三間に四間の仮祭壇建築願
さあ/\まあ/\一寸は大層のようなもの。もう程無うこれ追々殆んど日が近づいて来た。皆々心掛かりであろう/\。なれど、又一つ二十年祭というは、一寸容易で出来たんやあろうまい。年限を数えてみよ。皆々楽しんでやってくれ。皆々談示一つの理皆治まれば、何か順序の理に、皆委せ置こう/\。

二十年祭には、参拝人一般へ御神酒及び餅御供与える事願
さあ/\まあ/\心だけ/\は十分に、心だけは十分に与えてくれ/\。あたゑは十分の心、皆々心それ/\戻るで/\。多くの人戻るから、満足より国の土産は無い程に。その心持って、日々の処通りてくれ。あちらどう、こちらどう、なか/\人で/\人でならん程、人が出る程に。年限まあ経って前年十年祭という、年明けたら二十年祭という。世界の理と打ち合わしたら、皆々疾うから、言わず語らず心にあるやろう。よう聞き分け。追々道開く程に。付ける程に。国々では、どうやこうやと不足たら/\。その難しい処から、今に道を付けて見せるで。皆勇んでくれ/\。追々始まる。すっきり八方へ映してある。どんな事聞いたとて、おめ恐れは無い程に。

信徒一般一戸毎に白米一合宛与える事願
さあ/\尋ねる事情/\、もう些かなもので、どうこうと満足々々と言うて、一時に運び難ない。皆々こうと一つの心に治まりたら委せ置こう、と言うたる。

大字三島へ一戸に付一人ずつ陰暦二十日に招待する願
さあ/\尋ねる事情/\、これも一寸心だけは、してやらにゃならん。心だけ許し置こう。

教祖二十年祭各直轄分教会に於ても陰暦二月中にその定日を選びて教会長の裁可を仰ぎ執行願
さあ/\尋ねる事情/\、もう何から何まで、一時の事なら早々であろう。どうしたらこうしたらと、一時纏まりた理は、許そと言うたる。一時順序十分の理立ったる。皆々心の理が第一。一時の処、もう十分の道付けたるによって、しっかり聞き分け。何かの処、万事の理は、一つに許し置こう。
【説明】
(1) 教祖の二十年祭を迎えるについて、それを精一杯にと思えば思うほど、大層なことに考えられるであろう。そして、その日も追々に近づき、目前に迫っている上から、皆の者も何かと気がかりなことであろう。しかし、ここで思案せねばならんことは、教祖の二十年祭を迎えるまでになった今日までの道すがらは、決して楽々に成り立ったのではないということである。このとこは、今日までの年限、いろいろの道を経て来たことを考えればわかろう。このことを考えて、二十年祭に向かっては、皆々心楽しく勇んでかかってもらいたい。そこで皆の者が談じ合い、神の理一つに心治めてかかるならば、何事についても準備段取りとして、皆の考え通りに任せておこう。 (2) そのことについては、お前たちの心づもりの通り十分に与えてやってくれ。帰って来た者への与えというものは、十分の心遣いこそ本当の与えとなるのである。この年祭には多くの者がぢばを慕うて帰って来るのであるが、その者たちに満足を与えてやることが何よりで、満足の心こそ、それぞれ国への何よりの土産となるのである。だから、そうした心を持って日々を通ってくれるよう。教祖の二十年祭には、この親里はあちらからもこちらからも帰って来た人の波で埋まるほどになるのである。  年限の経つのは早いもので前に十年祭を勤め、今また年が明けたら二十年祭を迎える旬となっている。ところが、お前たちは対世間的な思案の上から、前々から言わず語らずのうちにも、いろいろ心を煩わしていることもあるであろう。しかし、ここで神の話を、よく聞き分けてもらいたい。神はこの旬にこの道を大きく開き、往還道をつけようと思っているのである。  国々所々の先々においては、今の道の姿が必ずしも喜べず不足に思っている者もあるが、こうした難しく思える姿の中からこそ、今に往還道をつけて見せよう。だから皆心勇んで通ってくれ。この点については既に八方に、そのしるしを見せてある。だから、どんなことが出て来ても、決しておめ恐れすることはないのである。 (3) 改めて尋ねることは、すべて教祖二十年祭のことであり、日も迫っているので急ぐ事柄ばかりであろう。それについては、この際皆の心が一つに治まった上でのことなら、その真実に許そうと言うてある。そして、年祭の順序段取りについても、お前たちの真実の心は十分に受け取っている。この際、一番大切なことは、皆々の真実の心が一つに治まるということである。また神は、二十年祭についての手順は、もはや十分につけてあるから、今までに諭した点を、しっかり聞き分けて事を進めてもらいたい。そうしたなら何かにつけ、すべてのことも皆の心一つに許しておこう。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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