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永尾よしゑ長女たつゑ、辻市太郎次男留治郎二十六才縁談事情心得まで願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ縁談一条事情一つ理を尋ねる。尋ねるには皆んなそれ/\心集まりて、これでという理を尋ねるのやろ。縁談という、どうしてこうしてと言う。もう十分と思うた処が十分成るものやない。又半端と思うても成る事もある。どうやこうやと人間心で分からせん。分からんから、順序追うてさしづと言うて運ぶのやろ。何か順序諭し置こう。さあ事情運んだ処、成っても成らいでも将来の理、皆心に治まるなら、さあ/\何時なりと許そ/\、許し置こう。

一同相談致しまして、と申し上げ
さあ/\もうそれから一つ理という、何も彼も将来という、皆、将来の理に結んであれど、心の理添わさんようではならん。順序運んでそれから治まるなら、夫婦の中にも苦情無いもの。それから順序運んで、何か順序という。
【説明】
(1~2)縁談においては、とかく、どうしてこうしてなどと言うものである。また、いろいろ問題があるものである。たとえば、もう十分であると思ったところが、必ずしも十分な結果を見ることができるとはかぎらない。また、中途半端であると思ったことが、意外にもなる場合だってある。あれこれ言ってみても、人間心では分からないであろう。だから事が成ってくる次第を尋ねているのであろうが、ここで大切なことは、みんなが「どうでも」という心、将来いつまでもという理を治めてかかることである。
【摘要】
(1) 縁談には何よりも二人の心と心が寄り合い、通い合っていることが大切である。 (2) 神の理に基づいて事を決め、それを生涯末代までもと思い定めてかかることが肝要である。 (3) 縁談とはいんねんあって結ばれるものである。だから互いに心を寄せ合い、つなぎ合って、将来いつまでも治まっていくもと(基礎)をつくるべきである。 (4) 本人同士は言うまでもなく、双方の親をはじめ、みんなが十分に納得し「やれ嬉しい」という喜びの心の理が合っていることが大事である。そうしてこそ、その縁談は十分なまとまりを見ることができる。 (5) 人間思案の義理や都合から判断して、事を運んではならない。重要なのは互いに、真実の心を結び合うことであって形ではない。 (6) 自ら心治まっているのならば、独身であっても何ら差し支えはない。

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