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梶本ミキヱ二十五才の処へ福塚信四郎三男秀雄二十七才なる者養子に貰い受け度く願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ縁談という、一つ理を尋ねる。さあ縁談一条理はさしづして置く。何よ順序聞き分け。一つ理という、さあ心と/\の理さえ何よの事も治まれば、何かの事情も同じ事。何か心得ん/\これ一つ事情と十分発散。どちらも日を切って何か治め置く。何か事情委せ置こう。これ一つよく聞き取ってくれ。

さあ/\尋ねる処/\、何よの事も理が治まらねば、尋ねにゃ治まらせん。よう聞き分けて一つ理を治まれば、何でもどうでも発散。一つ事情これ何か事情鮮やか成った事情、これよく心にして治めるがよい。


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<百日のおさしづ>

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【説明】
(1) 梶本ミキエ姉 初代真柱の兄松治郎氏の長女。 福塚秀雄氏を養子に迎える話しがあった。 (2) 縁談は親神の思し召しによるものである。双方の心と心が治まるならば、どんな事情も同じこと。身上の患いは事情も同じであるから、十分心の発散をしてくれ。どちらも日を切って治める。どのように治めるも、お前たちに任せおく。 (3) 何事も理が治まらねば駄目である。親神に伺った通りにしなければ治まりはせぬ。よく聞き分けて、親神の思いが胸に治まれば心の患いはなくなる。深い思惑の上からなってきた事情であることを心に治めて、事情を治めるがよい。  ミキエ姉は、この年七月十五日出直している。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。

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