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多人数の中へにをいがけと仰せ下さる故、明日は分教会長も帰りますが不参の者へは手紙を出して呼び寄せ話致します、と申し上ぐ

にをいの事早いほがよいで。急いでやってくれ。急いでやってくれにゃならん。急いでやっても良い加減になる。残らず/\遠い所、悠っくりして居ては遅れる。この人ににをいを掛けんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。これからこれが仕事や。

これが話のだめの話。今後どうしてくれ、こうしてくれ、これよりありゃせん。これ了うたら、三四年か五六年は皆々働いてくれにゃならんで。働いたら働いただけのこうのう皆々ある。ほんになあと、もう変わったなあと言うて、これから楽しんでくれ。
【説明】
(1) たすけ一条の神の思いを一列の人間に伝えるにをいがけは、できるだけ早い方がよい。急いでやってくれ。いくら急いでも、急ぎ過ぎるということはないので、急いでやって、ちょうどよいぐらいになるものである。  このことは世界隅から隅まで残らずやってくれなければならんので、ゆっくりしていたのでは、遠くの所が遅れてしまう。したがって、この者ににをいをかけねばならんと思ったら、たとえ道の辻で出会った場合でも、すぐその場で神の話を取り次いでくれ。これが、これからのお前たちの何より大切な仕事である。 (2) もう教祖三十年祭まで、あと八年となった。だからにをいがけについても、今からその気になって、どうでもこうでもという精神で三年前から精一杯に努めても、ちょうどよいくらいになるのである。このことは隅から隅まで余すところなく、しっかりやってくれ。今までの気持ちとは、すっきり気持ちを変えて、この教えこそ親神の直々のものであるということを、一刻も早く世界の者たちに説き聞かしてやってもらいたい。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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