おさしず検索


未だ御身上すっきり致しませんが、何か運ぶべき事ありますか、と申し上げ

手遅れ/\。だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。

そうして内々の処、こうして三軒棟を並べてある。一軒の方/\立ってない/\。立たんとすれば楽しみも無い。これも第一長らえての道、余程大望な事である。治まり無いと言えば、有るも無きも同じ事。


押して、三軒棟あって一軒立ってないという処、此辺如何の事でありますかと願
西に余分々々、余分は一人あるわい。一人こちらへ/\。それが気に合わんとすれば、今限りやで/\。ウヽヽヽヽ。

もう立て合いの日の立て合い/\、日の立て合いは正月二十六日、二月二十六日、これ日の立て合いや。
さあ/\何かの事も自由と言うてある。自由。

きぬゑをまさゑの方へ納める事、教長へ申し上げて運び方致しますと申し上げ、政甚より申し上げ
さあ/\十分を見て、三年とも言えば三日とも言う。三日とも言えば三十日とも言う。三十日とも言えば三年とも言う。さあ/\やろ/\/\。やった/\/\/\。あヽヽヽヽ。

急いでやってくれ/\。三日とも三年とも言う。あちらこちら決めて了う。継目無う治まったら、これから/\元の通り、いつも/\の通り、世界もずっと治まって来ると言う。
【説明】
(1) 飯降家内々に姉弟三人が棟を並べて、永尾家(よしえ)、飯降別家、本家(政甚)と棟を並べて住んでいるが、そのうち一軒にはまだ後継者が決まっていない。それでは、親として楽しみもない。これは早くから心にかかることであり、非常に大層なことである。 (2) 西の永尾家に、いずれ他家へ嫁付ける妹娘が一人ある。その一人をまさゑの方へもらい受けるようにせよ。それが気に添わぬというならば本席の命も今限りである。今日は二十六日、日の立て合いである。教祖が現身を隠したのは正月二十六日、今日は二月の二十六日。これ日の立て合いである。神は自由自在である。 (3) 飯降まさゑ姉 飯降伊蔵本席の二女。 本席にはよしえ姉、まさゑ姉、政甚氏の三人の子供がおられた。きぬゑ姉は本席の長女よしえ姉の二女。 (4) さあきぬをやろやろ。やったやった。急いでやってくれ。三日とも三年とも言う。双方決めてしまってくれ。継目なく治まったら、元通り、また、いつもの通り姉弟仲良く治まる。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。

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