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梅谷四郎兵衞夏より居所の障り、又この度大阪へ戻りて口中の障りに付、併せて二女とみゑの事も願

さあ/\尋ねる処/\、身上の処、長々の処、とんとどういうものをと思う。長らくの処とんと未だ治らん/\。さあ/\今までの処は定まらん/\。長らえの道の処、どんな日も月も年もあり、その長らえての尽したる処、又日々勤める処も皆々受け取りてある。さあ/\何を定まらんと思うやろう。長らえての道、ぢばに一つは見えたる処、遠く所/\、近い所/\にも、年限相応の雛形拵えてある/\。遠く所にも理がある、近くにも理がある/\。遠く近くの理も、二つの理が無いで。一つは定めにゃなろうまい/\。前々に大抵々々聞かしてある。これまでの処、人間身の内の処、どうしたものや/\と思うて暮らしたる処、一つは定めにゃならん。遠く所/\、心を定め付けねばならん/\。どんと心が治まらん。これまでに何かの処の事も聞かし治めてある。長くの道に、とんとどういうものと思うてはいかん。日々の処どんと心を鮮やかと治めてくれねばならん。
【説明】
梅谷四郎兵衛、船場大教会初代会長。 長年お道を通る上には、どんな時もあったが、日々つとめるところは皆な受け取っている。おぢばはもとより、遠い処近い処にも、年限相応のひながたがこしらえてある。長くお道の上につとめても、一向に御守護がないと思ってはいけない。日々の処どんと神一の精神をはっきり治めてくれねばならぬという意味で、口中の障りは、家内中が神一條の精神を治めよと指示されたのであろう。 長い間身上がよくならないのは一体どうしたこと思うであろうが、それは今までのところはまだ心が定まらないからである。長らくの道を通る間には、どんな日も月も年もあり、その間長らく尽くしたところ又日々つとめるところも全部受け取っている。何を定まらんというのかと不審に思うであろうが、長らくお道を通る上において、ぢばに一心に尽くした理ははっきり見えているし、遠い処にも又近い処にも年限相応の雛型がこしらえてあって、遠い理も近い理も二つの理がなく(別々のものではなく)丹精した理ははっきり見えているから、一層ぢばに一心に尽くすことを定めなければならないであろう。という意味で、居所の障りはしっかりとぢばに尽くす心を定めよ。と指示されたのであろう。
【摘要】
『口』については、内々(家内、親類、教内、おぢばに勤める者)が良く談じ合って治めるようにというおさとしが多い。口は、物をいうところであり、且つ飲食物を体内におさめる入口であることを思案すれば、良く談じ合って、内々治めよというおさとしの意味が納得されるであろう。 居所障り(痔疾)については、増野正兵衛・お糸に関するものが多い。増野家はもともと神戸市にあり、一家をあげて、当時片田舎のおぢばに移転されることについては、家庭的に難色があり、家内の一手一つが容易ではなかった。おぢばに移転されてから、お糸はお屋敷住人の中心的人物として、お屋敷内部がうまく治まるようにと丹精された。痔疾は、住居に関して起こり、内々のトラブルをお互いにたんのうして治めることをさとしていられる場合が多い。既述の如く、口に関するおさとしは、内々を治めることに関したものが多い。肛門はいわば出口であって、口には変わりなく、口腔に関するおさとしと一脈相通ずるものがあることに注意を要する。人体には九つの道具あると教えられるが、口腔と肛門は、一つに数える。

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