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増野正兵衞足のくさ目かい障り伺

さあ/\前々尋ね一条、諭しの処、事情身が治まる諭し。又々内々一つ事情善き事情、心一つ理上どうであろう、一つ案じる理上どうであろう。一つ案じる理上止まる止められん。一時分かる分からんであろうまい。一時一つ心を、一つ印あるは印ある。いつ/\まで定め。心変わらんのが定めやで。これをよう聞き分け。
【説明】
この前にたずねたについてさとしたところは、身上の御守護をいただき、又内々の事情が良き事情となる(家内の事情が治まる)さとしであった。理の上からいってもっともなさとしであるが、人間心でどうでもあろうと先案じし、しかも理の上からじっとしているわけにはゆかない。今は解ることを解らんなどと云っている場合ではない。この際はっきり心定めをせよ。心定めがついたならば、御守護をはっきり見せていただける。何時何時までも定めよ。心が変わらないのが本当の心定めである。という意味で、身上は心定めを確乎不動のものにせよと、重ねてさとしていられるのであろう。
【摘要】
「くさ」については丁度症状が示すように、むしゃくしゃしている心の状態、即ちいんねんに心ひかれて、理一條に立ち切れず、不足勝ちでいるところを、あざやかに理の上から思案して、どこまでも理が立つようにつっぱって行けということを指示されていられる。 註 身上さとしは、親神天理王命の十全の守護の理が根底となっていることは、今更申すまでもないことである。”二つ一つが天の理”というお言葉は、本教的な物の考え方(理論)を最も端的に表現するものであろう。”二つが一つになる”なり方が、論理的にいって、非常に問題があるところであるが、本教では、”談じ合い”をもって、”順序の理”を経て、”一つになる”のである。この理論に基づいて、下図に示すように十全の対応の守護の理を理解するならば、皮膚についてのさとしが、それに対応する”つっぱり”の理合いによってなされている意味をよく納得することが出来よう。

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