おさしず検索


松見崎という角力取が本部へ無心に来て、平野楢蔵に向けて種々の事言い掛けるに付、過日来刻限の話もある故、如何取り計って宜しきや願

さあ/\世界は難しい。長らえての処、世界の処難しいのやで。世界の悪は皆あちらの悪こちらの悪皆寄せ、あちらへこちらへばら/\。とんと一つ悪を定めて道が付いた。悪を善で治め、たすけ一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出る処の悪の精抜けて了う。だん/\最初一つの談示、どうしたらよかろう。元より話聞く。どうしてよかろう、どうしてこうとも言わん。夜更しして夜とも言わん、昼とも言わん。一名一人早く入り込んで、めん/\深き処の理をして居る。名義の無き影形の無き間は怖わい。掛かりようも無い。一つの理も吹き出し掛けたら悪がばら/\になった。一つ話心見せる。危ない/\処は無い。どうしてやれとも言わん。所を変えて優しい心を治め、何よの処頼む。何程心あれども頼む。心あれば荒い言葉も使うまい/\。成るだけ秘っそう、出せまい、秘っそうにして。
【説明】
(1) この件に関連していると考えられるおさしづがある。明治二十一年七月十七日(陰暦六月九日)奈良講社の者、正月頃より二十名ばかり別派になり、学者を頼みて此者に講元並に教職をも許しくれるや、さもなくば天理教会を潰し、または平野楢蔵と論をするなどと言うに付伺(以下略)。明治二十二年一月十五日午後十一時十分 御本席御障りに付再度伺「相談々々、悪の相談して居る処が見えてある。…余程用心頼む」と仰せられている。 (2) 正面からぶつからないで、別の場所で応待をし、優しい心で話し合いをして、何でもこちらから頼むようにして治めよ。
【摘要】
「教政」という項目には、教会を治めて行く上での政治的事情のおさしづが入る。その大部分は神道本局との交渉関係のものである(これは全部本部関係のものであるゆえ、ここでは省略する)。ここには、広い意味の教政の中で出張の項目に入らないものを雑然と上げさせてもらった。教会本部関係のもの、一般教会の場合に適用される悟りが得られると思われるものを含めた。  具体的に言うと、 (1) いろいろ先回り、先案じをするのはよくないので、誠心誠意低い心になって事に当たるべきである。 (2) 悪でも善で治めることが大切である。 (3) 社会のしきたり通りで済むことは、その通りにする。 (4) 社会の人々の心に納得と安心が行くようにする。 (5) 事情がどういう事情か見分けて、お道として当然なすべきことは、旬々の理に従って対処しなければならない。 というような点を、お諭しになっておられる。  また関心の高まっている対社会問題については、ここには載せてないが日清・日露の両戦役に関するおさしづ等も参考になろう。一般的に言って、応法と言われるような事情については、付き合いとして処置せよというお諭しが多い(「あいそ」という言葉が使われている)。あまり社会的問題に深入りしないように戒められ、常に神一条の精神でたすけ一条の事情として処置することの必要を強調されている。

TOP


お道のツール