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梅谷四郎兵衞下阪に付伺

さあ/\尋ねる処、心に掛かる理もあろう。一日の処心置き無う往んで、又談示の処、それからそれへ/\大層は要らんで。先ず/\小さい処より談示に、篤と言うて聞かし、小さき処より始め、だん/\の理で治め。運びたまから大きな思やんしても治まらんで/\。

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さあ/\、元々の処/\変わらんが一つの理である。狭ばい/\といえども、元々の処、天よりの理で、軽き処より掛かるが天よりの理である。元々の処の理を思い、何にも無き紋型無き処から、これまでの道成り立ち来た。よう/\聞き分け/\。初めは小さい/\処から始め掛け。心変わらんが一つの理である。さあ/\世界に一つや二つやないで。よう聞き分け/\。合えん/\、合わん/\というのは、無理な事を言う、無理な事をするから談示が合わんのやで。さあ/\前々にも諭す理、よう聞け。一日の日は生涯と言うて諭しある理、無理な事すれば生涯を一日に取り越すで。そこで初めは小さき処から/\始めば、どうでもこうでも、こうしようやないか/\と言うて、独り出けて来るのは誠やで。だん/\に出けて来るのは誠やで。これが天理と言うのやで。よう/\聞き分けさせよ/\。さあ/\どんな処の道が付くやら分からんで。なれど初めは小さき処から、長う続くが第一と、よう聞き分けて諭すよう。
【説明】
(1) 船場大教会設立認可後、分教会を明治十七年以来設置されていた天輪王社跡にすべきか、そこでは教会として狭いので格好の地へ移転すべきか、紛争が起こった(「梅谷文書」参照)。 (2~3)教会設立の最初から、大きな思案をしても治まらないので、まず小さいところから談じ合って進めるように。 (4)天輪王社跡を変えないのがよい。教会としては狭いと言っても、元始まったところではあるし、力相応にまず軽いところから始めるのが天理である。 (5) 無理なことをしようとするから、意見が合わないのだ。 (6) 一日々々の行動が生涯に影響を与えると常に諭しているが、無理なことをしたら、一生取り返しのつかぬ失敗を一日でしてしまう。そこで教会設立の最初は、小さい所から始めたら、やがて、どうでもこうでも、こうさせてもらおうと言うて、大きくなっていくのが誠の心であり、それが天の理である。
【摘要】
教会を移転するというような事情の場合、一番大切なことは皆の心を一つにする、ということである。  皆が納得して一手一つになって事に当たるなら、どのような困難も乗り越えられる。しかし意見が二つとか、三つに分かれるようなら難しいことになる。  移転の理由として、教会が狭くなってきたから、というようなものが挙げられる。しかし、まだ設立間もないというような場合は、まず力相応に小さい所から始めるのがよい。  それがやがて、皆の心実誠が寄り集まって、広く立派な土地へと変わっていくのである。設立間もないのに無理なことをしたような場合、生涯取り返しのつかぬ失敗をする恐れもある。  移転の理由として、同じ村に二つあるから、というようなものも挙げられるが、これは必ずしも移転する必要はない。系統は違っても同じ道の理を信ずる者として、相共にたすけ合って進まねばならないのである。  更に移転の理由には、とても不便な所だから、というようなものがある。しかし、いかに便利な所、繁華な所であると言っても、皆の心が一つに合わないなら、天の理がないということを知らねばならない。  移転については時期を見て、あわてずに、ぼつぼつ準備にかかるということも大切である。  さて移転にかかった時、いろいろ反対攻撃される場合もある。いろいろ難癖をつけて、移転を妨害されるような場合である。  しかし、反対攻撃に腰を折ってはならない。  もともと、このお道は周囲の無理解、反対攻撃の中を、乗り越え乗り越えしてできた道なのである。  いかにその道が険しかろうと、皆が心を合わせて一手一つに通るなら、精神一つで必ずや通り抜けられるものである。

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