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斯道会の分教会の件に付おさしづ(河原町分教会)

さあ/\尋ね出る処、一つ事情しっかり一つの事情を諭し置こう。だん/\これまでの順序道すがら、心一つの事情の理、幾重の道を通り、年限の理を以て、だんだんに盛ん。だん/\に聞いて、だん/\に聞き分け。人間という処の事情、どんな事も自由自在。思やん定めて、皆の心一つの理を以て、日々の処の理という。とんとはかない道である。年限取った道は堅い道、心だけの道が分かる。働く一つの理、尽す一つ理、理の一つの話無くばならん。さあ/\よう思やん定め。初めは、小さきよう始まる。元より大きな所は無い。所々先々の所には幾重の道もある。一つ心定めた事情が世界という。さあ/\何時なりと一つの事情を定め。小さき処より始め掛け。皆いんねん事情の一つの道、元々の道、一つの心を以て通るなら、世界に危なき怖わきは無し。小さき処からぼつ/\と。さあ/\心置き無う。何か順序は、計り出せという。
【説明】
(1~4)河原町の教会(初代会長・深谷源次郎氏)は、上のおさしづをいただいて分教会設置の儀を決意することとなる。この当時、斯道会(河原町の前身講社)は、既に部内講社が百を超える栄を見ており、真に、その進展著しいものがあった。しかし初代会長は、集談所は借家であるし、かかる所に分教会の理を受けさせていただくはもったいない。他面、今新たに地所や家を求めてということも現状として難しい。やがてご守護いただいたならばお許しを戴こう。との思いから、分教会設置は辞退していた模様(「河原町大教会史・上巻」参照)。  この背景を念頭に読むと、このおさしづの意味は一層よく納得されよう。すなわち「心一つの事情の理、幾重の道を通り、年限の理を以て、だん/\に盛ん」と仰せられ、「一つ定めた事情が世界という」と、更に「小さき所からぼつ/\と。さあ/\心置き無う」と仰せられている。真に懇ろに教会設置への心組みを諭され、また称揚されている。
【摘要】
分教会設立および支教会設立等にかかわるおさしづは、全部ということになると随分たくさんの数となるのであるが、ここでは約十ヶ所ほどの教会の場合についてうかがうこととしたに過ぎない。  この関係のおさしづでは、年次ののちの頃のものになると、その伺いに対して教示くださるおさしづのお言葉が非常に直截、簡潔なものとなっているのが大部分である。もちろん、その簡潔なお言葉の中に、事柄の核心が明確、簡明に教えられていることは、そのおさしづそのものを、よく味読させていただくと納得させていただけるのであるが、ただこの、それぞれの教会設立ということに関して、比較的に言葉も豊富に、また、それだけに納得させていただくべき心得というものが、割合詳しくうかがえるのは年代的に初期の方のおさしづであろう。  そうしたところから、ここに、その例としてみさせていただくこととしたのは、叙上の比較的初期の場合の、それ(教会数にして約10、伺いの件数にして約三〇)としたものである。  さて、叙上の教会設立にかかわるおさしづは、その伺いの件数からすると、ほぼ次の二つに大別できると申せよう。 一、 おぢば、教会本部から教会設立の理のお許しを戴くについて伺い、そこに教会名称の理について、また教会設立についてお教えいただくこととなっているもの。 二、 本部から理のお許しを戴いたのち、いわゆる世界、地方庁等からの認可を得る問題に当面しておさしづを伺い、そこに、かかる現実の問題をふまえながら、教会名称の理について、また、かかる教会設立について心得べきことをお教えいただくこととなっているもの。  かくて、叙上の伺いの点で二つに区別してみられるおさしづのそれぞれを通じ、そこにお教えいただくところを要約すると、次のように申せよう。 (1) 国々所々の教会の名称は、ぢばの理・教会本部があって、そこに初めて成り立っているものである。 (2) 教会は何にもまして、神一条の精神を世界・世上という現実の世界に映してゆくところであり、その使命をもつところである。それは、親神による元創め出し、教祖によるたすけ一条の道、しかしかかる脈絡の中に連なる今なる教会の使命でもある。 (3) かくて、その上で教会設立を願い出るについては、これまで既に一つの道の理を聴かせていただいて、真実な心をもって通らせてもらってきたという心の理が大切であるが、更にこれから先も変わらぬ真実をもって、運ばせてもらうという心を定めることが大切である。 (4) また教会の設立は、寄り合い、願い出るもの一同が一つの理によく談じ合い、皆の心の理が合ったその上に許されるものである。 (5) なお、その設立の具体的な進め方として地方庁認可の問題などあるが、その場合いたずらに、いわゆる世界のことに心奪われ、あるいはとらわれてしまってはならない。 神一条の道の理の上から於お許しを戴いたという、その理を確かに心に治めて、その上に立って事に処してゆくことが大切である。暇がいったら暇がいったで、道の理の上から、そのことを通してなるほどと受け取らせてもらうような態度で処するあり方が肝心である。

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