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兵神分教会地所並びに東京出願の事、清水与之助、増野正兵衞両名にて願

さあ/\だん/\前々一つ事情、所々運ぶ処、皆揃うて一時治まる。どんな事も治まる。定かなで。又々理を寄せ。いかなる事情分かり来る。皆身上より運んで成程一つ安心、いつ/\一つ心。一寸十箇年というは、長くはない。つい通る。一つ心の治まる。心分かり難ないから、始め掛けたら一つ理、始め掛けたら治まる。十分運んで一つ十分守護。心置き無う皆揃うて日々という。

同日同刻、兵神分教会建築及神祀るに付願
(分教会所建坪四十五坪、住居十五坪、講社談示定まり、私共神戸へ帰り、神様より細き所よりとも聞かして頂き、だん/\一同相談致しましたるに、是より細く致しては却て講社人気も落ちるからと承り、押して申難く、此位にて御許し下されますよう、又、神様祀りますにはどちらの方角にして宜しきや願)

さあ/\尋ねる処、普請一条、方角どちらとも言わん。向もどちらとも言わん。大き小さいこれ言わん。大層思うからならん。皆心を寄せた理を受け取る。理が分かる。念を入れ、念を入れる事は要らん。寄り来る心これでこそ、皆ほんになあ。これだけ聞かして置く。


押して、井戸一箇所御許し願
さあ/\何かの処、心一つ、一時一つ心を揃え。これでこそ満足という。この理一つ/\守護という。
【説明】
(1)明治二十一年の暮れに山名と郡山の二つの分教会設立のお許しがあり、明けて二十二年になると、芦津、船場、兵神など次々と分教会設立のお許しを戴いた。そして、それに伴い教会の普請を願い出るところが多くなった。これは兵神分教会(現兵神大教会)が、最初の教会普請をお許しいただいたおさしづである。 (2)普請については、親神の方から大きくせよとも小さくせよとも言わない。大義大層に思ったりする者もなく、皆が一手一つに心を寄せ合って、勇んでかかることが肝心である。人間思案で形の上のことを、あれこれ考えていても、皆の心が寄らなければ神は受け取れない。
【摘要】
教会普請に関するおさしづは教会設立のおさしづほどではないが、全部となると、やはり相当な数になる。また中には、割り書きに「普請」と明記されていなくとも、叙上の郡山分教会のおさしづのように、教会長の身上を通して普請のおさしづをくだされているような場合もあり、一層数はふえてくる。そして、年次的に初期のおさしづの方がお諭しくださるお言葉も多く、お諭しくださる点も割合に詳しくうかがえるのに対して、後期になると、お言葉も少なく、非常に直截、簡潔なものが多いのは、設立に関するおさしづと同様である。  そうしたところから普請に関するおさしづも、やはり比較的初期のものの中から、いくつかを取り上げさせてもらった。  そこで教会普請について、心得なければならない諸点を要約すれば、次の通りである。 (1) 教会の普請は、人間思案を捨ててかからねばならない。 (2) 教会の普請は、一人や二人の力でできるものではなく、多くの者が一手一つに、神一条の心に心を結び合うことである。 (3) 教会の普請は、単に形の上で建物を建てるのではなく、その普請を進めることによって、めいめいの心を入れ替え、心の成人をさせていただくことである。そして親神は、そのめいめいの心の成人にふさわしい形(大きさ)をご守護くださるのである。 (4) したがって、いかなる計画を立ててみても、それが成るも成らないも、めいめいの心の成人次第である。 (5) 普請には普請をするべき旬がある。その与えていただいた旬をはずさず、理の伏せ込みをさせていただいてこそ、末代変わらない理を戴けるのである。

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