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郡山分教会の願

さあ/\尋ねる処/\、しいかり諭しよう。さあ/\一時に処、どう事情の理を以ちて、世界々々暫くの処、又々の理を以ちてする。今の処、世上の理を以ちて通る通る。

尋ねる処、まあ一つ始まりの処、学びという始まりの理。幾名何名、あちらこちらの理を思う/\。よう思やんしてくれるよう。
【説明】
(1) このどさしづにはお願いの件名が記載されていないが、「開筵式の日取りや、親神様のお祀りの仕方、おつとめのつとめ方などについて、お伺いしたものと思われる。しばらくは世上の理をもって通る。かかりはちょっとの心をもって運ぶよう。また、よく思案するように、とおさとしされている」(「天理教郡山大教会史・その一」140頁)とある。
【摘要】
祭儀に関する事情というのは、一般にほとんど起きない。祭儀式は定められた形式があって、それに準拠して執行されるものであるから、もし問題が起こるとすれば何かの事情で、それが規定通りに執行できない場合ということになる。この場合、祭儀式の種類によって、それぞれの事情が複雑になってくるのは言うまでもない。  祭儀の中心はおつとめである。一般教会のと教会本部のとの相違および関連性、つとめ人衆の理、祭典日などには、それぞれ理がある。なぜ、そうなっているかという教理的理由があるので、やむをえない事情以外おさしづでは変更しないように諭されている(なお変更については、明治二十九年四月の内務省訓令以後の、とくに明治二十九年五月二十日のおさしづ、および「稿本中山真之亮伝」215~235頁参照)。  このような事情のおさしづは、適当な引用例をあげることが難しいので、ここでは、祭儀に関係のあるおさしづの中で、特に祭儀を諭されていると思われる例を引かせていただいた。もちろん例の数も不十分であり、本部と一般教会とが同列に取り上げられているなど雑然としているが、これらの例から、祭儀に関して疑問の起こりそうなところや、その悟り方が明らかになろう。  明治二十七年七月三十日のおさしづは、世界の事情の項目にもあげられているが、おつとめの意義が鮮明に述べられている例として、ここにもあげさせていただいた。また祭儀にはおつとめ以外、たとえば葬祭などいくつかあるが省略した。

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