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平野楢蔵願

さあ/\ようこれ聞き分けにゃならん。身上に障り/\と言う。よう聞き分け。これまで身の障り皆諭して居る。又めん/\に身の障り、よう聞き分けんにゃならん。めど一つの話々。そこでめん/\の処、一つ立て替え、洗い替え。めん/\よう聞き分け。皆寄せてある処、他の処、事を言う処、聞いてめん/\たんのうして定めば、速やかのもの。めん/\の事と思え。めん/\の受けは、他の事と心に治めば、大きに御苦労と、日々心にたんのうを治め。これだけの理を諭し置こう。
【説明】
(1) 目標一つに対して、皆めんめんの心一つを建て替え、洗い替えて、心からわがことと思って、、皆に対して大変ご苦労さんですという心で通るように。 「日々たんのうを治め」と諭されているのは、芯となる者がまず、たんのうの心をしっかり定めるようにとお諭しくだされているものと悟らせていただける。  郡山分教会(現郡山大教会)の普請については、おさしづ中に「普請」と明記された割り書きはないが、明治二十一年十二月十一日、郡山分教会設立のお許しを戴く前後から教会新築の準備が進められていた。そして、その頃に初代会長の平野楢蔵氏とトラ夫人は、共に身上にお障りをいただいていたので、その夫婦の身上を通して、設立と共に教会普請についてのお諭しも下されている。ここに取り上げたのは、そのようなおさしづの中の一部である。
【摘要】
教会普請に関するおさしづは教会設立のおさしづほどではないが、全部となると、やはり相当な数になる。また中には、割り書きに「普請」と明記されていなくとも、叙上の郡山分教会のおさしづのように、教会長の身上を通して普請のおさしづをくだされているような場合もあり、一層数はふえてくる。そして、年次的に初期のおさしづの方がお諭しくださるお言葉も多く、お諭しくださる点も割合に詳しくうかがえるのに対して、後期になると、お言葉も少なく、非常に直截、簡潔なものが多いのは、設立に関するおさしづと同様である。  そうしたところから普請に関するおさしづも、やはり比較的初期のものの中から、いくつかを取り上げさせてもらった。  そこで教会普請について、心得なければならない諸点を要約すれば、次の通りである。 (1) 教会の普請は、人間思案を捨ててかからねばならない。 (2) 教会の普請は、一人や二人の力でできるものではなく、多くの者が一手一つに、神一条の心に心を結び合うことである。 (3) 教会の普請は、単に形の上で建物を建てるのではなく、その普請を進めることによって、めいめいの心を入れ替え、心の成人をさせていただくことである。そして親神は、そのめいめいの心の成人にふさわしい形(大きさ)をご守護くださるのである。 (4) したがって、いかなる計画を立ててみても、それが成るも成らないも、めいめいの心の成人次第である。 (5) 普請には普請をするべき旬がある。その与えていただいた旬をはずさず、理の伏せ込みをさせていただいてこそ、末代変わらない理を戴けるのである。

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