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飯降政甚夜中厳しく左の下歯痛むに付伺

さあ/\仕込み/\/\、さあ/\仕込み/\/\。道これ一つ/\古き者より皆改め。互い/\知らせ合い、皆仕込まにゃならん。皆これ/\いつ/\まで子供子供言うて居てはどうもならん。一時辛抱して居られんで。一時心が寄る。あちら一つ席々急がし成る。遠くの所出て来る。一つ話して聞かさにゃならん。何かの処、順々改め。別席の処、俺も/\、互い/\処、心合せて夜々話合うてくれねばならん。忙しくなる。それからだん/\身上入り込んでの身の障りと言う。皆んなどんな者でも、神の話知らんようではどうもならん。いつ/\まで子供々々ではどうもならん。取次々々一時のどんな事始まるものではない。取次々々あちらへも出越し、こちらへもそれ/\皆用がある人多いで。席をする者が無いで。一名々々事情あれば、皆それ/\運んでくれるよう。
【説明】
(1) 飯降政甚氏 本部員、飯降伊蔵本席嗣子。 (2) 道の仕込みは何より大切である。まず道の先輩なる者が皆心を改め、互いに知らせ合い磨き合いして、若い者を仕込まねばならない。いついつまでも若い者だ、未熟な子供だと言っていてはならぬ。 (3) どんな者も皆、神の話を知らぬようなことではならぬ。いつまでも子供々々では困る。
【摘要】
後継者については、先に教会の項で取り上げた。しかし、そこでは教会担任後継者の選任について述べた。ここでは教会子弟ならびに一般子弟の後継者養成の問題について考える。  子供や青年子女を道のよふぼくとして育てるには、親あるいは道の先輩たる者は、どういう心遣いや通り方、導き方をしなけれならぬか、この問題についておさしづに現れた神意はどうであるか。この点に関するおさしづを検討すると、次のような点が強調されている。 一、 道の信仰は幼少より仕込む必要があること。 (1) 相応の年になってからは世間のことに心煩わす、そうなってからは信仰の道につきにくい。子供の時分から道の信仰にしむけていけば順序がわかる。信仰の根を養うようにしてもらいたい。 二、 導き育てる者の心がけ。 (1) 育てる者は真実の心がなければ育たない。親が怒っては子供は育たない。 (2) よふぼくに育てるには年限がかかる。気長に導いてもらいたい。それには修理肥えが必要である。 (3) 幼年・若年の者を粗末に扱うことなく、幼少の者ほど、わが子より大切という心で育ててほしい。言葉一つにもよふぼくを育てる力があるから、注意して導いてもらいたい。 (4) この道は一代の道ではなく、末代の道である。理の親子も、肉親の親子も、親となり子となるいんねんによってなるものである。 (5) 心の磨き合いに当たっては、義理や体裁で治めることはしないでほしい。低い心で人のことを、自分から先に立って行うひのきしんの態度が根本となる。 三、 導かれる者の立場。 (1) とかく若い者は未熟であり、勝手な心遣いをすることがある。親があるので子がある。という理を考えてもらいたい。親の理を忘れては道とは言えない。若者が神の話を知らぬようではならぬから、しっかり仕込んでおくことが肝心である。

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