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諸井その、十四日より左の手足しびれ、自由叶わざるに付願

さあ/\身上一つ尋ね聞き分け。さあ/\身は大変、一時大層一つ心、一寸自由何か聞き分け。成る成らん一時身、一つ心、案じ一つ理で深き事情、一つの事情何も又一つ事情あれば、銘々一つ道の理、さあ/\一年は一年、年々何かの理も、これこそこれは案じ一つ理心得ん。案じ何でも踏ん張る。救けねばならん。一寸分からん。一つの理、一時さあ/\よう聞け。身不足道の事情、一時成るとは思うな。一時成るでない。救けねばならん。案じばかりである。踏ん張る、何でも踏ん張る。間違いで一時成ると思う心分からん。大層々々頼り一つの理を待つ。
【説明】
諸井その、山名大教会初代会長諸井国三郎夫人。 身上不足になったのは今一時の心違いからなったのではなく、前生のいんねんによるのであるが、お道につくした効能によりたすけなければならない。案じてばかりいてはならぬ。今こそなんでもふんばることが大切である。何かの間違いで今身上不足になったと思う心は、理が解らない。大いにいんねんの理をききわけて一段とお道の上にふんばることを待つ、という意味である。左の手足のしびれは中風で、当時その女は、入信七年目で、ドン底時代であったが、この身上を節として一段とお道の上に丹精し、山名大教会の土台を築かれた。手足の自由叶わないのは、一段とつくしはこべということを指示されたのであろう。
【摘要】
中風で手足の自由叶わなくなった時、”もう働くことも、尽くし運ぶことも出来ない”と断念するのが人情の常であろうが、ここに節を生かして、一段と親神様の手足となってー人間思案を捨て神一條の理を立てきりー丹精さして貰うというところに、お道の信仰の神髄があろう。会長の中風の身上より、却って教勢が著しく伸長した幾多の例がある。

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