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船場紛議事件に付、山本利三郎、平野楢蔵出張調べ方の願

さあ/\尋ねる/\。どういう事情の理を以てどういう理、一つの理何かの事思やん。幾度どれだけ運ぶとも、理を聞き分けねば、どんな所何遍の理が変わる。よく聞き分け。何程聞き分け。結ぼるゝ解けん。どれ程一名一人、日々何程迫り切る。迫る理から解けば皆解ける。実を聞き分け尋ねるから聞かそ。今一時どちら分教会支教会、前々の理には、元をや一つの改心出来れば、をやの理さえ守るなら一つの理でする。をやというあちら抑えられる、こちら払われる。真綿で結ばれるという。皆治められん、あんな理が治められん。理が治まらんから元々のをやという。何程切ろうと、継ごうと、真綿で包まれようと、何にも構わん。この理をよう聞き分け思やん。
【説明】
(1) 明治二十二年三月二十九日、船場分教会は大阪府庁より認可された。当時分教会を天輪王社のあった順慶町一丁目の西田佐兵衛氏宅にしようか、移転すべきかという両方の議論に分かれて紛争が起こった。西田氏宅は狭かったので、島文助氏らは格好の地へ移転したらよいと強硬に主張した。 四月十日おさしづを願い「小さき事情は大きなるが一つの理」と仰せられたので、西田氏の地を移らず隣接地を買収した。ところが五月二十六日再び設置場所の粉講再燃したので、翌二十七日普請のさしづを仰ぐと「治める」とのお許しがあった。ところが八月三日三たび粉講が起こったので、本部より山本・平野両氏の出張となった(「教会史資料(一)」、「梅谷文書」参照)。 (2) 今一時どちらに分教会を普請するかと粉講が起こり喧しいが、前々のさしづに話した通り、親の話のように改心できれば、また親の思召し通り守るなら守護しよう。親の思いがあちらで抑えられ、こちらで払われる始末である。しかし、これは真綿のような柔らかい優しい心遣いによって、人の心をつなぎとめることが大切である。今治められずにいる。あんなことが治められず困っている。理が治まらんから元の親の思惑を聞き分けねばならぬ。  かくして事情は治まり、十月二日三日の両日にわたり船場分教会落成開筵式を執行した。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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