天理教教祖殿逸話篇
「神の理を立てる」
明治十三年秋の頃、教祖は、つとめをすることを、大層厳しくお急き込み下された。警察の見張、干渉の激しい時であったから、人々が躊躇していると、教祖は、 「人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。さあ、神の理を潰して人間の理を立てるか、人間の理を立てず神の理を立てるか。これ、二つ一つの返答をせよ。」と、刻限を以て、厳しくお急き込み下された。 そこで、皆々相談の上、「心を定めておつとめをさしてもらおう。」ということになった。 ところが、おつとめの手は、めいめいに稽古も出来ていたが、かぐらづとめの人衆は、未だ誰彼と言うて定まってはいなかったので、これもお決め頂いて、勤めさせて頂くことになった。 又、女鳴物は、三味線は飯降よしゑ、胡弓は上田ナライト、琴は辻とめぎくの三人が、教祖からお定め頂いていたが、男鳴物の方は、未だ手合わせも稽古も出来ていないし、俄かのことであるから、どうしたら宜しきやと、種々相談もしたが、人間の心で勝手には出来ないという上から、教祖に、この旨をお伺い申し上げた。すると、教祖は、 「さあ/\鳴物々々という。今のところは、一が二になり、二が三になっても、神がゆるす。皆、勤める者の心の調子を神が受け取るねで。これよう聞き分け。」という意味のお言葉を下されたので、皆、安心して、勇んで勤めた。山沢為造は、十二下りのてをどりに出させて頂いた。場所は、つとめ場所の北の上段の間の、南につづく八畳の間であった。