天理教教祖殿逸話篇
「南半国」
山中こいそが、倉橋村出屋鋪の、山田伊八郎へ嫁入りする時、父の忠七が、この件を教祖にお伺いすると、 「嫁入りさすのやない。南は、とんと道がついてないで、南半国道弘めに出す 。なれども、本人の心次第や。」と、お言葉があった。親は、あそこは山中だからと懸念したが、こいそは、「神様がああ仰せ下さるのやから、嫁にやらして頂きまする。」と言うて、明治十四年五月三十日(陰暦五月三日)に嫁入った。 すると、この山田家の分家に山本いさという人があって、五年余りも足腰が立たず寝たままであった。こいそは、神様を拝んでは、お水を頂かせる、というふうにしておたすけさせて頂いていたところ、翌年、山中忠七が来た時に、ふしぎなたすけを頂き、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、一人歩きが出来るようになった。又、同村に、田中ならぎくという娘があって、目が潰れて、七年余り盲目であった。これも、こいそが、神様を拝んでは、神様のお水で目を洗うていたところ、間もなく御守護を頂いた。それで、近村では、両足の不自由な人の足が立った、目の不自由な人も目が開いた、と言って、大層な評判になって、こいそを尋ねて来る者が、次から次へと出て来た。