おさしず検索
飯降政甚大祭に帰りしに付、又々神戸へ出越すの願
さあ/\修行々々、学問上十分という、心通して修行。学問上何が違う、彼が違う、どういう事であろう。身上どんと不足なれば、どうする事も出来ん。どんと不足あるとて、さしづ一つで速やか。何年幾年了えたら、身上どんと不足成ったらどうもならん。修行の処、身上不足取次何も案じる事は無い。修行のため、銘々身上磨きに出るのが修行。通さにゃなろまい。修行という、心の身を磨きに出るのや。修行、大切に扱うては修行にならん。そら水汲みや、掃除や、門掃きやと、万事心を磨くのが修行。そこでさしてくれるよう。
【説明】
(1) 修業というのは、学問を十分に身につけることを言うのではなく、心を通して修業、つまり心の修業をすることである。学問上からこれが違う、あれが違うと言うが、それはどういうことか、身上を患ったらどうすることもできないのである。 (2) 修業というのは、心を磨きに出ることである。それを大事に扱っていては修業にならない。たとえば水汲みや、掃除や、門掃きや、そういった、あらゆる仕事を通して心を磨く事が修業である。
(1) 修業というのは、学問を十分に身につけることを言うのではなく、心を通して修業、つまり心の修業をすることである。学問上からこれが違う、あれが違うと言うが、それはどういうことか、身上を患ったらどうすることもできないのである。 (2) 修業というのは、心を磨きに出ることである。それを大事に扱っていては修業にならない。たとえば水汲みや、掃除や、門掃きや、そういった、あらゆる仕事を通して心を磨く事が修業である。
【摘要】
お道の修業に当たっての心すべき要点は、次のように考えられる。 (1) 道の修業というのは学問を修めることではなく、心の修業をすることである。あらゆる仕事、特に下働きを通して心を磨くことが肝心である。 (2) 道を通る者は、名称の理を戴き、またその理を末代に残す上に、一通りの苦労を味わい、それに値する道を通らねばならない。 (3) 世間一般の難儀、不自由、苦労艱難を味わうことも大切である。これらを通して身の修業を積むのであるが、しかし心は常に、教祖のひながたの心を、わが心として通ることが肝心である。 (4) 道の者は人の心を汲む修業も必要である。 (5) すべて自分の艱難苦労が、人に満足を与える元になるのである。
お道の修業に当たっての心すべき要点は、次のように考えられる。 (1) 道の修業というのは学問を修めることではなく、心の修業をすることである。あらゆる仕事、特に下働きを通して心を磨くことが肝心である。 (2) 道を通る者は、名称の理を戴き、またその理を末代に残す上に、一通りの苦労を味わい、それに値する道を通らねばならない。 (3) 世間一般の難儀、不自由、苦労艱難を味わうことも大切である。これらを通して身の修業を積むのであるが、しかし心は常に、教祖のひながたの心を、わが心として通ることが肝心である。 (4) 道の者は人の心を汲む修業も必要である。 (5) すべて自分の艱難苦労が、人に満足を与える元になるのである。