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春野ゆう神戸へ帰宅し、五日目より俄に寒気立ち発熱し、食事進まず、足の運び悪しく、一時は気が狂いうわ言言い、一時難しいように思いしが、追々御利益蒙りたれど、今に自由出来ず、御救け下さるよう願

さあ/\身上一条の理尋ねる。一時どう成ろう、どうであろう。一時身は案じる事は要らん。よう事情諭し置かねばならん。先々良き所と思えども、どうしたならば身上一つの理、大き事情、どうせにゃならん、心倍の理を諭してやれ。古き心が掛かる。身に日々どう成ろうか知らん、よう諭してやれ。そうして一時という。

同日、増野いと神戸にて居所障りに付願
さあ/\事情早く諭してやろう。遠いで一つの事情以て楽しみあろう。一つの心通り、どちらでも同じ事であろう。離すに離されん、余儀無き心ではどうもならん。

同日、増野正兵衞母又いとの障りに付、神戸へ行きて諭しまして宜しきや、他人を以て諭しの事を願いました方宜しきや伺
さあ/\一時はそれ/\、ちゃんと筆に記し、他人から一人の事情を諭する方がよい。
【説明】
春野ゆう、本部員増野正兵衛夫人糸女の母。 将来は良い処と思うが、さて当面のところ、どうしたならばよかろうと案ずる人間思案から身上にお手入れをいただいたのである。神戸から一家がおぢばに移転することは大きな事情であるから、どうしなればならんという、心構えの理合いをさとしてやれ。今まで通りの古い人間思案が身上にかかって来るのである。という意味で、足の運びの悪いのは、直ちに神意を実行せよということを指示されたのであろう。増野正兵衛氏一家を早くおぢばにひきよせようとの神意であったが、正兵衛氏夫人糸女をはじめ関係者は、仲々おぢばに移転する決心がつかなかったようである。糸女の居所障り(痔疾)もこれと関係があるように悟られる。
【摘要】
足は歩くものである。従って、足に関するおさとしが、信仰の道を、即ち神一條、たすけ一條の道を踏みはずさずに、勇んで通ることに関したものであることは直ちにうなずけることでもあろう。而して勇んで通るにはいんねんの自覚が大切である。いんねんを自覚して通る心は、たんのうの心ということが出来る。たんのうの心に先案じがあってはならぬ。又たんのうは単に自分がたんのうするだけでなしに、相手にもたんのうしてもらうようになってこそ、本当のたんのうということが出来る。先案じせず、日々をたんのうして、理をふみはずすことなく、一條に信仰の道を歩くところに、足の病をおたすけいただく根本があろう。理の運びを速やかにする時、速やかに足の病をおたすけいただく御守護がある。

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