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本席身上御障りに付願

さあ/\身上々々、身上が一寸障る。もうこれどうも何よの事も日々に事情取り扱う事もどうもならん。日々取り扱う処、もう速やかなる処は通りて居るやろう。心一つに間違いは無い。聞いたが実に心に十分通りて居よう。又通りて居る。身上に障り付けば案じる。案じる理である。今日は差し込む、じっとする、又突う張る。今日はちいと良い、又障る。何か違うと思やんするやろう。なか/\くどう/\説いたる一つの事情よう聞き分け。内も外も隔て無い。どんな事でも隔ては一つも無い。なれど、よう事情を聞き分けてくれねばならん。日々と言えば月々と言う、月月と言えば年々と言う。これ人間というものは一代にどういう理もある。怖わや恐ろしいという事情は数あってはどうもなろうまい。大きい事にも成らず、もうこれ真実の理、こんな事せき/\ある。一時どういうものであったなあと思うて通る者もある。事情によってどうもならん事情もある。これはすっきり忘れんにゃならん。一代の事はどんな事も思い出してはたんのう、見てはたんのう、聞いてたんのうして暮らさねばならん。又一つには珍しい所が大和の国に出けたそうな。一寸見て来うかと言うは今までの処、まあ/\世界では事情掛かり一時分かる処もあれば、分からん処もある。なれど人間の道というは、働くという理は話したる。隅から隅まですっきり洗い切る。どうでも洗い切らにゃならん。年明けたら御陰年や、偉い事や、と、世上は一時楽しんだなれど、楽しみは失うて了うた。あゝ今度は怖わや、どっからどう成るとも知らず、外へ出ようには雨が降る、風が吹く。暫く放って置けばどうもならん。まあ今年が明ける、来春はふしがある。どうでも通らねばなろうまい。えらい造作であったという。一つの人気一つの世界、何でも彼でも一つの喜び、一つの楽しみ、一年先と言えば長いようなものや。なれど直きに経って了う。どんな話もせにゃならん。今年という今年の秋は、怖わきもどんな事も見る。なれど十分に取らさにゃならん、十分の治めさゝにゃならん。又一つ内々一つ珍しい、やしき一つ話掛ける。十分苦労の道は通り、僅かの年限を一寸通りた。余儀無くの事情、どうでもならんという事情は、もう治まり切って了うた。人間の心で俺がどうしようか、お前がこうしようか、と言うて、して来たのやあろうまい。存命中仕事もせにゃならん。一つの心に日々持って運び来たる事情、あちらで一先ずは代わり勤めにゃならん、どうでもその道運び来たる。今日の道に人間の心でする事はその場は治まる。人間の心の事情は皆々苦情となる。その場限り、神一条の道は心の理を以てするから、入り来るも出て来るもこれまでの処、並大抵な道じゃなかった。今一時世上と言えば細くの道という。内々にもよく思やん。成程どう成るも内からするやない。皆世界から寄り合うて出け立つ道である。内からせねばどうするかと言うた日もある。なれど一つ越し、二つ越し、皆越して来た。又一つ内々親族いんねんの事情を以て一つ始め掛けたる。始め掛けたと言えばどういう事と思うやろう。神一条の道は皆兄弟、いずこの理を以て親族、親族は心の結び合い、他人というはほのかな理、神一条の道は神やしき、鏡やしきという。何年以前始め掛け。胎内宿るまでに話たるしん。又一つ、筆に記して十分に知らしてある処もある。この事情というは深きいんねん、十分の理に治まりたる処、又後々事情いんねんは親族なればよう聞き分け。世界の理を以て居れば、親族と言うては神の道とは言おうまい。どんな事も言い難くい、聞き難くいやない。見難くい始め出しの時というは、親族という中に、親族と言えば深き理であろう。神一条の道には親族は無い。相当の暮らし一時すっきりして了い、世上の理から見たらどれだけの理とも分かろうまい。古い事思えばたんのう、又一つ親族々々々々、三つの立てやい筆に知らし何であろう。いつの事と思うて居たやろう。この事は十分前に経って了うた。又一つにはどうなりこうなりの道も付け、何か事情/\心も運び、この事情も親族一つの理、これもたんのう、事情も聞き分けてくれねばなろうまい。難しい事を言うやない。一つ一つ始め掛ける。皆目に見えた事ばかり。又始め掛ける。どうしてくれこうしてくれとも言わん。一戸の内限り無きの身代使い果たし、難儀不自由の道もある。又一つ内々の事情は皆鏡やしき。よう聞き分け。隅から隅まですっきり掃除すれば、又どんな模様に掛かるやらこれ知れん。広くぢばが要る、要ると言うて前にも諭したれど、やしきの取りようも無いと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。一つの事情運び、一つの事情を治めたる処、仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた。暫くこのまゝ、年が明けたら又差し掛けんならんやらこれ知れん。そこで一寸日覆いと諭しある。何時払わんならんやら分からん、知れん。内々にも人間の心の理は要らんと、そこへよかろうという理に治めるなら、どんな理が咲くやらこれ知れん。この理を聞き分けて、ようたんのうして聞き取ってくれるよう。
【説明】
(1) また、ここで内々の者は、鏡屋敷のことを考えてもらいたい。やしき内を隅から隅まで掃除すれば、どんな様子になっていくやらわからぬ。子供たちの戻ってくるぢばは広い土地がいる。と以前から諭しているが、どこからどこまでが鏡やしきであると、決めようもないと思うであろう。しかし一旦口が開いたら、大勢の人々がぢばへぢばへと慕い寄ってくる。事情を運び事情を治めたところから、仮屋普請差掛普請にかかる。今年はしばらく、このままの状態であるが、年が明けたら差掛普請が忙しくなるかもしれぬ。今はちょうど、日覆いをしてあるようなものだ。何時日覆を取りのけねばならんことになるかしれぬ。内々の者は人間心はいらぬ。そこへよかろうと思う理を治めるなら、どんな立派な理の花が咲くやしれん。この理を聞き分けて、しっかりたんのうしてくれるよう。
【摘要】
本部の地所に関するおさしづを通覧すると、次のような点に神意が現われている。 (1) 神のやしきの地取(範囲)は、既に神意として定まっているということ。かねがね教祖は「八町四方は神のやかた、奈良初瀬七里は宿屋ばかり」と仰せになっており、遠大な親神の思召しが着々実現されていくことになる。 神のやしきの地取りはすでに定まっている (明治22・10・20) 縄を張って何間何尺定めたるようなもの (明治26・6・13) 元のやしきへ成って来る (明治23・4・24) 年限だん/\重なれば八町四方になる (明治27・11・17)    というようなお言葉に、そのことがうかがえる。 (2) 道の子供たちが親神を慕って帰って来るぢばであるゆえに、広い地所が必要である。教祖十年祭を迎えるに当たって教祖殿建築につき伺うと、  親の内は地所さい広がりたら十分。子供戻るぢば無うてはどうもならん (明治28・3・10) と言われ、これより詰所がぢばに建築され賑やかとなる、広い地所を神はお望みである。  広く要る/\、急くも神、抑えるも神の働き (明治22・8・18) (3) おやしき拡張のための地所買い入れは、申すまでもなく親神の親心によってご守護をいただくのである。  地所集め掛けたる処、大抵々々もう少しの処、直きに集めさして了う (明治28・11・14)  道の理運んで万事の処心さえ持って働きさえすれば、どんなことでもさしてみせる (明治33・4・20) (4) おやしき拡張整備のための土地購入は急いではならぬ。年限によってご守護をいただくのである。  年限という処から、ぼち/\掛かれば成る (明治34・2・10)  成程という処から何でも及ばす。年限の理を持って及ばす (明治32・1・15)  大木の大きくなるようなもの (明治28・8・19) また、旬がくれば口を開いたように、鮮やかに順調よくご守護をいただく、とも言われる。教祖五年祭(明治二十四年)を迎えるに当たって、その前年のさしづには、 広くぢばが要る。要るというて前にも諭したれど、やしきの取りようもないと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。(中略)仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた (明治23・6・21)    それは日覆いを取り除けるようなものだと言われている。 (5) 土地買い入れについての人の心の在り方はどうであればよいか、と言えば、この点については、  大層々々は受け取れん。大層してはたすけ一条何もならん (明治33・3・16)  かけ合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にも成らん (明治32・1・15) しかも大切なことは、各人の発意によるものであって、無理なことは神は受け取れぬ、と言われている。  運ぶ尽くす理は受け取る。(中略)しようまいと思たて、出来掛けたら出けるで (明治25・6・20)  何にも進めるやない、頼むやない (明治22・10・23)  いずれ広くならにゃならん。(中略)人の心によりて心一つ成るものや (明治34・11・13) ――親神の深い思惑によって、親神のご計画が着々実現されつつあることに間違いはない。かつ、道の普請(建物の場合)は仮普請で、更に将来へ向かって発展する一過程における普請であることが特徴的で、道の子供たちの勤めは、一日も早い親神の思召し実現に努力することである。  先々育てて成人したら、どんな所からどういう事出けるやら知れやせん (明治28・11・14) と、非常に子供の成人に期待をかけられている。そのご期待に応えるには、どのように努めればいいか、この点が最も肝要なところであろう。

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