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増野いと居所の障り願

さあ/\幾度尋ねる。だん/\の事情、身上一つの理を案じる。案じる事は要らんという。案じる。これ案じはせん中に、案じる/\理であろう。一日の日はどれだけ案じても、一日の日は経つもの、どんな日も一日経つもの。案じはせん、身の不足案じはせん。一日の日というは、どんなにも経つ。越さにゃならん。身上不足あれば一日の日、どうでもこうでも案じる。一日より月々、月々と言えば生涯、案じはせん、言やせん。案じる身上、どうも一日の日、身上不足治まるか治まらんか、治めてみよ。
【説明】
身上一つの理即ち居所の障り(痔疾)を案じて案じることはいらんというのに案じる。これは案じはせんと云いつつ案じる理になるであろう。一日の日はどれだけ案じても一日であり、又案じなくても一日である。 一日案じないことより月々案じないように、又月々案じないことより生涯案じないように、又案じ言葉を云わんようにせよ。という意味で、居所障りは、先案じせず、日々たんのうして尻を落ち着けて通れ。ということを指示されたのであろう。
【摘要】
居所障り(痔疾)については、増野正兵衛・お糸に関するものが多い。増野家はもともと神戸市にあり、一家をあげて、当時片田舎のおぢばに移転されることについては、家庭的に難色があり、家内の一手一つが容易ではなかった。おぢばに移転されてから、お糸はお屋敷住人の中心的人物として、お屋敷内部がうまく治まるようにと丹精された。痔疾は、住居に関して起こり、内々のトラブルをお互いにたんのうして治めることをさとしていられる場合が多い。既述の如く、口に関するおさとしは、内々を治めることに関したものが多い。肛門はいわば出口であって、口には変わりなく、口腔に関するおさとしと一脈相通ずるものがあることに注意を要する。人体には九つの道具あると教えられるが、口腔と肛門は、一つに数える。

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