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若井村松尾与蔵母はるのぼせ歯痛に付、尚小人次男市太郎も身上に付併せて願

さあ/\身上と言うて尋ねる。何ぼ思やんしても分からん。どんな事も伝えてある。伝えたる事分からんにゃどうもならん。一代事運んで、一代余儀無く暮れてある。前々の事情聞き分けにゃならん。心の理によって理が外れる。一つの理運び、内々一つの理遙かの事送り、内々一代後を思えば、世上にはどう、所にどう、彼処にどうと思う。道一時の処は長らくの心持って。急えたかてどうもならん。前々一つの理を治めてくれにゃならん。どんな理も聞き取りて、内々諭してくれ。身上は案じる事は要らん。どんな事しても神の道とは言えん。自ずの道を通らにゃならん。自ずの理を心に持ってすうきり澄み切りて了もたら、身上不足無い。不都合な道はいんねんの道である。いんねんとはいかなるいんねんもある。いんねんは大難小難の道を分からん事あろうまい。この理を聞き分けて、美しく道を通れば速やか。内々事情速やかゞあれば、尋ね出るがよい。

さあ/\身上と言うて尋ねる。何ぼ思やんしても分からん。どんな事も伝えてある。伝えたる事分からんにゃどうもならん。一代事運んで、一代余儀無く暮れてある。前々の事情聞き分けにゃならん。心の理によって理が外れる。一つの理運び、内々一つの理遙かの事送り、内々一代後を思えば、世上にはどう、所にどう、彼処にどうと思う。道一時の処は長らくの心持って。急えたかてどうもならん。前々一つの理を治めてくれにゃならん。どんな理も聞き取りて、内々諭してくれ。身上は案じる事は要らん。どんな事しても神の道とは言えん。自ずの道を通らにゃならん。自ずの理を心に持ってすうきり澄み切りて了もたら、身上不足無い。不都合な道はいんねんの道である。いんねんとはいかなるいんねんもある。いんねんは大難小難の道を分からん事あろうまい。この理を聞き分けて、美しく道を通れば速やか。内々事情速やかゞあれば、尋ね出るがよい。


さあ/\身上と言うて尋ねる。何ぼ思やんしても分からん。どんな事も伝えてある。伝えたる事分からんにゃどうもならん。一代事運んで、一代余儀無く暮れてある。前々の事情聞き分けにゃならん。心の理によって理が外れる。一つの理運び、内々一つの理遙かの事送り、内々一代後を思えば、世上にはどう、所にどう、彼処にどうと思う。道一時の処は長らくの心持って。急えたかてどうもならん。前々一つの理を治めてくれにゃならん。どんな理も聞き取りて、内々諭してくれ。身上は案じる事は要らん。どんな事しても神の道とは言えん。自ずの道を通らにゃならん。自ずの理を心に持ってすうきり澄み切りて了もたら、身上不足無い。不都合な道はいんねんの道である。いんねんとはいかなるいんねんもある。いんねんは大難小難の道を分からん事あろうまい。この理を聞き分けて、美しく道を通れば速やか。内々事情速やかゞあれば、尋ね出るがよい。
【説明】
松尾与藏、平安大教会三代会長。 この道は代々つづく末代の理であるから、ながらくの心を持って自ずの道ー天然自然の道を通る、すなわち成ってくる理をいんねんと自覚して喜んで通るならば、身上不足はないという意味で、のぼせは、因縁の自覚ができず、大難は小難と喜べない高慢な人間思案はいけないと指示されたのであろう。
【摘要】
頭についてのおさしづを要約すると、人間思案(特に高慢の心)を捨て、親神の思し召しに素直にそいきり、幾重の中もたんのうして通れという意味のものが多いように思う。一言にして申せば、理の考え違いを戒めていられるように思う。考え違いを引き起こすもとは、めいめいの欲の心であり、何について理の考え違いをしたかは、その人のいんねんによるのである。身上かしもの・かりものの理をよく思案し、教祖のひながたをしのび、自分がおたすけいただいた最初の道すがらを忘れずに通れば、考え違いがなくなり、日々たんのうの心がおさまり、陽気ぐらしができるであろう。

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