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東京東分教会より秋田県へ派出の願

さあ/\まあ遠く所なか/\の理、一寸の掛かりなか/\難しいようである。一寸掛かり掛けた処、をやが付いて居るで。神が守護するで。尋ねの事情を以てすれば、どんな事も皆治めて見せるで。便りをして尋ねばさしづする。さしづの理を以てすれば、何も案じる事が無い。心置き無う行て治めてやってくれ。
【説明】
(1) 遠方へ布教に出るのは容易なことではなく、布教のはじめは、なかなか難しいようであるが、布教を始めるについては、をや(教祖)がついているし親神が守護するから心配はいらない。困った事情については尋ねてくれば、どんなことも皆をやが治めてみせる。便りをして尋ねればさしずをする。
【摘要】
布教に関するおさしづは多くない。 これは、布教ということが当然のことであって、特におさしづをいただくべき事柄ではなかったためであろう。布教の心得を要約すれば次の通りである。 (1) 布教に行くのは暇つぶしに行くというのではなく、確乎たる精神が必要である。一人の人が真実の精神を定めることにより一国でも道がつく。 (2) 身上かりものの理を聞きわけて、親神にもたれ、いかなる所へも勇んで行き、先案じせずに通れ。 (3) 人間は月日親神の懐住まいをしているのであるから、どこにおっても同じこと。親神様、教祖がついているから心配はない。 (4) ふしがあっても精神を倒すな。再三再四道がつくまで頑張れ。ふしから栄えるのである。 (5) おぢばで勤めるのも地方で布教するのも、その人のいんねん次第である。 (6) いんねんによっては、布教に出たものも引き戻される。 (7) 教会長夫人は、よく教会の内部を治めてから布教に行け。治まらないままに布教に行くのはよくない。

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