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中山たまへ歯の痛みに付願

さあ/\身の処/\、事情は一つ身のさしづ事情身のさしづ、どういう事情と思う。どう思うてはならん。身の処一時堪えられん。何かの処もどういう事で、先ず/\幼年の事情ならば身の処左程事情が無けにゃ分からん。事情は前より諭したる。先先万事一つ世界一つ思う。一時諭し、暫くと言えば暫く。今というは今、どういう事もこういう事も尋ね一条、一時一つの理を計り掛けるなら、理によって生涯の理も諭す。変わらんが誠、変わった分にはどうもならん。治め一条日々万事尋ね一条、これ一つの理に悟るなら、先よりも自由という。分かる理によって心通り。何よの事するも内々ぢば、どういう事も尋ね一条さしづ一条、皆んなそれなら/\という理に分かれば、皆治まる。又一つ始める。これまでという長い間の事情、まあ一寸にはいつの事情と思う。事情刻限なれど、身の処よりあちらこちら地面一つやしき一条、どうなりこうなりという。まあ一旦あちらも拡げ、こちらも差し出し、何か万事取り混ぜ一つ事情。よう聞き分け。あちらも仮家、こちらも仮家、したと思えば取り払え。万事、尋ねる事情を以て運ばにゃならん。人間事情では一時治まろうまい。さしづ一つの事情、信心だん/\一つの理を話し掛ける故、理を持たず、尋ね一条より治め来た道ともいう。よう聞き取ってくれるよう。
【説明】
中山玉恵、教祖嫡孫、初代真柱様夫人。 お屋敷の内で何事をするのにも、おさしづをうかがいおさしづにもとづいて、皆の者が、それならそれならと得心出来れば皆治まるという意味で、歯痛は内々ぢば(お屋敷の内部)の者が皆一手一つに治まるようにと指示されたのであろう。
【摘要】
口に関するさとしは、内々の治まりについてさとされているのが多いが、歯も口中にあるものとして、内々(家内、教会、お屋敷のうちら)の治まりについてさとしていられるものが多い。その治まりは、各自がいんねんを自覚して勝手気ままをせず、よくたんのうの心を治め、神意を中心として一手一つになる事によって得られるのである。歯はかみ合ってこそ咀嚼ができるのである。従って一本では如何に丈夫であっても役に立たず、かえって邪魔になるかもしれない。合わせることー神意に合致すること、又お互い同士の心を合わせること(一手一つ)ーを指示され、又各自のいんねんを十分にかみこなす(納得する)ことを指示されていることは、身体の機能と関連して、さとしの妙味というべきであろう。世界一れつの人々のたすけ合うところに、不思議な親神様のおたすけをいただくことが出来、かくて陽気ぐらしがこの地上に実現されると教えられる本教信仰生活上、一手一つの大切なことは今更申すまでもないことあろう。

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