おさしず検索
神道管長天機伺いを兼ね露国皇太子見舞のため出発に付、京都まで中山会長出迎えの願
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情一寸には心得十分心得て/\。心に掛かる事情一つ、随分と心得て/\。今一時一寸なろうまい/\。立ち寄る/\十分何か心得て行かにゃならんで。
押して願
さあ/\随分事情は何かの処、心得て運ぶ処、世界の事情運ばにゃなろうまい。立ち寄る処、心得て一時の処は許す。
会長随行として増野正兵衞、梅谷四郎兵衞、永尾楢次郎の願
さあ/\一人二人の事情、尋ねる事情どうでも一人二人三人とも一つの事情、互い互い何かの処も万事心得にゃならん。一時の事情、大きい事情どういう事情、これまで一時の事情は皆知らず置いたる。辺所どれだけ堅いという、これまで皆諭しある。早いと思えば早い事情、世界何かの処も迫りて来た。千日々々という事情は皆心得にゃならん。難しい/\と言えば案じる。案じる事は要らんで。心得て勇んで勇んで。案じる事は要らんで。
押して願
さあ/\随分事情は何かの処、心得て運ぶ処、世界の事情運ばにゃなろうまい。立ち寄る処、心得て一時の処は許す。
会長随行として増野正兵衞、梅谷四郎兵衞、永尾楢次郎の願
さあ/\一人二人の事情、尋ねる事情どうでも一人二人三人とも一つの事情、互い互い何かの処も万事心得にゃならん。一時の事情、大きい事情どういう事情、これまで一時の事情は皆知らず置いたる。辺所どれだけ堅いという、これまで皆諭しある。早いと思えば早い事情、世界何かの処も迫りて来た。千日々々という事情は皆心得にゃならん。難しい/\と言えば案じる。案じる事は要らんで。心得て勇んで勇んで。案じる事は要らんで。
【説明】
(1) 明治二十四年五月十一日、ロシア皇太子(のちのニコラス二世)を、警固の巡査津田三蔵が滋賀県大津で傷つけた。いわゆる大津事件である。 (2) 世上のことに関しては十分注意してくれるよう。今すぐ事件が解決するというわけにいかぬだろう。神道管長を京都まで出迎えるため、行くに当たって十分心得て行ってくるがよい。 (3~4)今度の事件は大きな事件である。大津で起きた事件は難問題である。 三年千日は、まずかかると皆心得ねばならぬ。難問題であると言えば心配するであろうが心配はいらぬ。このとこを十分心得て勇んで勇んで行ってこい。
(1) 明治二十四年五月十一日、ロシア皇太子(のちのニコラス二世)を、警固の巡査津田三蔵が滋賀県大津で傷つけた。いわゆる大津事件である。 (2) 世上のことに関しては十分注意してくれるよう。今すぐ事件が解決するというわけにいかぬだろう。神道管長を京都まで出迎えるため、行くに当たって十分心得て行ってくるがよい。 (3~4)今度の事件は大きな事件である。大津で起きた事件は難問題である。 三年千日は、まずかかると皆心得ねばならぬ。難問題であると言えば心配するであろうが心配はいらぬ。このとこを十分心得て勇んで勇んで行ってこい。
【摘要】
おさしづには出張、派出、巡教、巡回など、外へ出向いていくについての伺いが割合多い。出張に関しても対外的出張と対内的出張とに分けることができる。体内的とは教内・教会先々への出張である。 さて「教外出張」として扱う対外的出張でおさしづに多いのは、明治二十一年の東京仮本部設置に当たっての上京伺い、また神道本部局への出張、および明治三十二年より始まる一派独立運動のための出張である。ところで、ここに事例として挙げたおさしづは個々に、それぞれ問題点を含んでいるので一括して要約することは難しい。むしろ個々のおさしづに現れた、それぞれの神意を理解することが適当であると思われる。教外出張に当たっては、信者取締りもあれば、事件解決のための出張もあれば、地震や火事見舞いもある。 滋賀県下信者取締りに出向くに当たっては、生涯末代の理をつくらせていただくという心構えでいくよう(二二・一二・一四)仰せられ、濃尾大地震には、早く運べ、真実を受け取る(二四・十・三一)、伊勢火事見舞いでは、道の理は誠心よりない。誠心のつくし合いが肝心だ(三一・五・二四)と、心の持ち方を注意されている。 信者が拷問を受けた金山事件には、仇も皆神の子供であり、兄弟の中の刃物三昧で一人でも傷つく者を出してはならぬと告訴を中止された(二六・六・二三および二七)。 浪花新聞の本教誹謗に対しても、子供が物をほしがるようなもので、道の者は「明日やる拵えてやる心ばえ」で通るよう。そして元のぢばに元のをやが踏ん張っているから理が伝わるのであり、心配はいらぬ(二八・一・四)。橋本事件については「万人の中一人以て防ぐは神の力、神の理」と、親神の親心あふれる神意と、ご守護の絶大さを示されている。 所詮、人間は親神のふところ住まいをしているのであり、この世は神のからだである。 対外的難問題に対処する場合も、このことを心に置いて立ち向かっていくことが肝要であると思われる。
おさしづには出張、派出、巡教、巡回など、外へ出向いていくについての伺いが割合多い。出張に関しても対外的出張と対内的出張とに分けることができる。体内的とは教内・教会先々への出張である。 さて「教外出張」として扱う対外的出張でおさしづに多いのは、明治二十一年の東京仮本部設置に当たっての上京伺い、また神道本部局への出張、および明治三十二年より始まる一派独立運動のための出張である。ところで、ここに事例として挙げたおさしづは個々に、それぞれ問題点を含んでいるので一括して要約することは難しい。むしろ個々のおさしづに現れた、それぞれの神意を理解することが適当であると思われる。教外出張に当たっては、信者取締りもあれば、事件解決のための出張もあれば、地震や火事見舞いもある。 滋賀県下信者取締りに出向くに当たっては、生涯末代の理をつくらせていただくという心構えでいくよう(二二・一二・一四)仰せられ、濃尾大地震には、早く運べ、真実を受け取る(二四・十・三一)、伊勢火事見舞いでは、道の理は誠心よりない。誠心のつくし合いが肝心だ(三一・五・二四)と、心の持ち方を注意されている。 信者が拷問を受けた金山事件には、仇も皆神の子供であり、兄弟の中の刃物三昧で一人でも傷つく者を出してはならぬと告訴を中止された(二六・六・二三および二七)。 浪花新聞の本教誹謗に対しても、子供が物をほしがるようなもので、道の者は「明日やる拵えてやる心ばえ」で通るよう。そして元のぢばに元のをやが踏ん張っているから理が伝わるのであり、心配はいらぬ(二八・一・四)。橋本事件については「万人の中一人以て防ぐは神の力、神の理」と、親神の親心あふれる神意と、ご守護の絶大さを示されている。 所詮、人間は親神のふところ住まいをしているのであり、この世は神のからだである。 対外的難問題に対処する場合も、このことを心に置いて立ち向かっていくことが肝要であると思われる。