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鴻田忠三郎耳遠くに付願

さあ/\身の処にて鮮やか通じんという。よう聞き分け。年代の理を勤めば、見ず聞かずでも治まる。年代の道を通るなら、知らず/\の道は通れようまい。一つ道を、鮮やか身の処にて不足あってはと思うから尋ね。見ず聞かずでも勤まるという。

同豊松育てる事の願
さあ/\尋ねる。尋ねにゃなろうまい。尋ねるから、一つ事情はしいかり書き取れ。内々にも十分諭せ。いんねんという理を、内々へもしいかり聞かせ。兄弟の中、どういうものと、内々も分かろうまい。小人という、一度こちらへと言うのは、心胆の理やない。日々暮らす、月々年々の暮らす中、小人育てるがいんねん。何人兄弟の内、一人だけどういうものと思う。皆寄せてある。欲しいと思うても、無いもいんねん。要らんと思えど、出来るがいんねん。内々事情代々の理ともいう。いんねんの理を聞き取るなら、分からんやない、成らんやない。どうする事も要らん。大切の事情いんねんと言うてある。育てるもいんねん、内々兄弟寄り合うて、それそれ治まる。心の理が治まれば、内々治まらんやない。尋ねるから十分のさしづをしよう。
【説明】
鴻田忠三郎、教祖存命当時よりの高弟。 いらんことを見たり聞いたりせず、一つ道を鮮やかに通れという意味で、耳遠いのは、いらんことを聞くなと指示されたのであろう。 \n\n (1) 鴻田忠三郎氏 本部員。 新潟へ道を伝える。のち山沢良助氏出直し後、教会本部で後見役を勤む。忠三郎氏と守谷筑前守の姪八重子姉の間に三児ができ、後妻さき子姉との間に六児をあたわり、子供九人という子福者であった。豊松氏は忠三郎氏と後妻さき子姉との娘りき姉の子浦西豊松氏のことで、忠三郎氏の孫にあたる。 (2) 日々暮らす中で、子供を多く育てているのはいんねんによるもので、何人もの兄弟の中に一人だけ他家から来た豊松を育てるのは、どういうものであろうと思っている。しかし、これは親神が引き寄せているのである。世間には子供がほしいと思ってもあたわらない人もあり、それもいんねんである。反対にもういらないと思っていても、できるのもいんねんである。大切に育てるのもいんねんと言うてある。そうすれば内々兄弟が仲睦まじくなり、それぞれ治まるのである。心が治まれば、内々治まらんことはない。
【摘要】
耳については、互いによく談じ合え。聞きにくいことも前生いんねんとたんのうせよ。神意、ぢばの理を聞き分けよ。理を知らせてやれ。いらんことを聞き、心をにごすな。などというおさとしがある。特に注目すべきことは、『理をききわけよ』と『理を知らしてやれ』という消極と積極の二つがあることで、その時の事情その人のいんねんを明らかにしなければ、適切なおさとしは出来ないことが、これによって明らかに解るであろう。皆の者が一手一つに陽気ぐらしが出来るように、耳を使わせて頂くことが、大切である。  \n\n  子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。  山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。  なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。

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