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本部の大裏地所土均らし願

さあ/\尋ねる処/\、事情追々皆寄り集まる処、どうも狭うてならん/\と言う。どうなりこうなりそこい/\始め掛けたる。一時以て尋ねる処、それはぼつ/\に掛からにゃならん。何時多分の人、どれだけ人が寄るとも分からんで。これも一寸話して置く。そこい/\一寸出来掛けたる。それは十分に均らし、一時これだけというは囲いもせにゃならん。そこでだん/\又尋ねるなら、思うようになる。地均らしは、それ/\こうして置こうというだけは許し置こう。 同時、十年祭かぐらづとめは、かんろだいにて致しますや伺 さあ/\尋ねる処/\、元々一つ掛かり掛けたる所がある。所が変えてこうという。広くと思う処、一つ始め掛けたる所がある。皆んなそれ/\分からんながらの話伝えたる。あちらも一寸聞き分け、こちらも聞き分け。よう/\の理に成り掛けたる。結構やなあと言う。よう/\出け掛けただけ所を変えてこうという処始め掛け。元元芯という理は変える事出来ん。広い所でしたら、と思うは理なれど、元々狭い所より始まりた。十年祭と言えば、仕舞のように思う。未だ/\掛かり、広い所一寸拵えた。同じやしきと言えば満足するやろ。 押して、祭式だけ北裏空地にて行う事 さあ/\それは構わん/\。一つの芯の理にかゝわらん。身分相応の理もあるやろ。それは構わん。 同時、本部十年祭より一箇月あとにて各分支教会十年祭行う事 さあ/\それはもうこれ話の通り理である。身分相応と言うたる理で分かるやろ。何処其処はどうしたさかいにどうせんならん、と思わんよう、言わんよう。治まる処真の理だけ受け取る。 同時、十年祭の時おつとめ人衆着物黒紋付紬(つむぎ)にて新調する願 さあ/\尋ねる処/\、それは心に委せ置こう。成らん事せいと言うた処で出来やせん。これだけこうしたらと、楽しんでする事は許し置こう。 引き続いて御諭し下さる さあ/\一寸万事の事に話して置こう。思うように付いて行かる、来られるという理を諭す。今尋ねた処は心だけ許し置いたる。揃えてこうしようどうしようという理は決してならん。思うだけ心だけの理を受け取るのや。思うようにして楽のようにするのやない。成らん事せいと言うのやない。これだけの理に慎みの理に持ってくれにゃならん。
【説明】
(1) この道もようよう盛んな道となった。皆が結構やなあと言える姿になって来たのであるが、それもようよう成り立った道なのである。それを今、その元の所を変えて別の場所でつとめをしようと考えているが、元々の芯と定めてあるぢばの理をはずして、つとめ場所を変えることはできないのである。お前たちが広い場所でと思うのも、もっともであるが、もともとこの道は狭いところから始まったではないか。十年祭といえば道の終いとでも思っているようだが、この道はまだ始まったばかりで、末代の道という上からは、ほんのかかりである。今度、十年祭に当たって広い場所もこしらえたが、つとめはぢばで勤めなければならない。そうすれば、たとえつとめを直截に拝めなくとも、同じやしき内に帰ったのだと思うだけで、帰参したものも満足するであろう。 (2) それはもう、言うまでもないことで勤めるがよい。しかし身分相応と諭したことでもわかるように、どこそこでは、どうしたから自分の所もどうせにゃならん、などとは思うわんよう。また言わんよう。皆の心が治まって勤めるなら、その真実の心だけを受け取ってやろう。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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