おさしず検索
清水与之助身上に付部内事情願
さあ/\尋ねる事情/\、さあ事情幾つも/\だん/\重なり、まあどうでもこうでも、日々掛かる処ありては忘れらゝせん/\。一つその中へ話して置く。皆銘々言わず語らず発散出来難ない。聞かすに聞かされん。明らかどうでもこうでも治めにゃならん。この道何処から付いた道か。よう聞き分け。聞き分けば明らか。世上幾重事情々々、成る成らん、何かの理持ち出し、この事情治め方/\、日々働き有るか無いか。どんな事言われてだん/\寄る世界見分け。内々どうもならん/\、どうもならん理を見てはならん、有りてはならん。万事心の道を繋げ。世上の道、心一つの道がある程に。よう聞き分け。この話したら、どんな思やん出るであろう。尋ね一条所々国々遠く、善き心持て。心戻る事情多分ありてはならん。三度まあ諭す。五度まで伝えた理は是非ないで。これだけ諭し置こう。
【説明】
(1) 清水与之助氏 兵神大教会初代会長。 兵神は明治三十年頃には部内教会の数も相当数になったが、当時は、教会を設立するとなると信者が非常に勇み、自分たちの土地に教会を設立するべく、地所を提供し建築費も多く負担した。また担任の選出も、そういう観点から行われたところが多かった。ところが教会設置後、時が経つにつれて教会長絶対の空気が濃くなり、住込み人の中に不足する者も多く出て、教会の内の治まりのつかない教会が部内に続出した(兵神大教会資料担当者・白藤義治郎氏談より)。 (2) この道はどういうところから始められた道か、よく聞き分け、皆この理を聞き分ければ、事情は明らかに治まる。 (3) 教会の内々が治まらない、というようなことがあってはならない。万事皆の心をつなぐように。心をつなぐことが肝心である。
(1) 清水与之助氏 兵神大教会初代会長。 兵神は明治三十年頃には部内教会の数も相当数になったが、当時は、教会を設立するとなると信者が非常に勇み、自分たちの土地に教会を設立するべく、地所を提供し建築費も多く負担した。また担任の選出も、そういう観点から行われたところが多かった。ところが教会設置後、時が経つにつれて教会長絶対の空気が濃くなり、住込み人の中に不足する者も多く出て、教会の内の治まりのつかない教会が部内に続出した(兵神大教会資料担当者・白藤義治郎氏談より)。 (2) この道はどういうところから始められた道か、よく聞き分け、皆この理を聞き分ければ、事情は明らかに治まる。 (3) 教会の内々が治まらない、というようなことがあってはならない。万事皆の心をつなぐように。心をつなぐことが肝心である。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。 お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。 会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。 お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。 会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。