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泉支教会会長小倉芳治郎辞職御許し下されるや願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ一時事情尋ねる処、事情にては心に余儀無く事情であろう。余儀無く事情であれば、心に治めて事情どうでも事情々々思う一つ理、まあよく/\一つ思やん定め/\。思やんして事情一時ならん。余儀無く事情であろうが、よう聞き分け。一時計り難ない。とんと事情ほのかの事情が楽しみ。楽しみはこうしたら事情は治まるであろう。一時事情強ってどうとは言えん。よう聞き分けにゃならん。一つ治まるやろうと言う。一時尋ねる事情、よう思やん。こゝまで話し置くによって、篤と思やんしてみよ。
【説明】
(1) 小倉芳治郎氏、泉大教会二代会長。このころ泉の道は役員一致せず、教勢きわめて不振(「教会史資料(五)」参照)。 (2~4)会長を辞職したいなどと言うのは、無理もない理由からであろうが、よくよく考えよ。人間考えからしたら絶望的に見えても、事情解決の望みがある。無理にとは言わないが、よく考えてみるように。
【摘要】
(1) 建設中に教会が倒れるなどのふしがあっても、たんのうして、むしろ心を定めて通ることが大切。先には大きな楽しみの道がある。 (2) その他教会長を辞退したいという場合にも、よく考えることである。絶望的に見える事情にも、必ず解決の望みがある。 (3) そこで会長を辞職したいという場合には、代わる代わる足を運んで諭してやれ。三度までは説得に足を運んでやれ。 (4) そこまでしても、やめたいという場合には仕方がない、惜しいものだが。後任会長には丹精をつくしたものを運ぶ。 (5) 何かの都合で会長排斥運動などが起こったような場合、あくまでも元一日を考えて、天の理で治めることである。元々の理を捨てたなら、株たを捨てたようなことになる。 しかし、そのような場合、会長の方も人間心を混ぜ合わせていないか反省せねばならぬところがある。そして、あくまでも広く大きい心で育てることである。 (6) 会長辞職問題などが起こった時、上級教会などで心配するのも無理はない。しかし自分が病気になることを思えば大したことはない。 (7) このような問題に当たる時、何もない所から始まったのだ、ということを考えたら、必ず事情解決のご守護がいただける。また、どんなに見通しが暗くとも、必ず鮮やかなご守護がいただけるのだから、真実の心でかかれ。

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