おさしず検索


南海分教会長山田作治郎出直しに付、後々一同心得まで願

さあ/\尋ねる事情/\、多くの中の事情、皆それ/\人々兄弟集まったる。万事理に添わそうと思う理もある。日々朝も天気であって、又空の曇る事もどんな日もある。なれど、これから集まってくれるなら、日々の処受け取りある程に。末代の理に治まる程に。皆々だん/\力添えて育ってくれたる処、万事分かり来る。ほんにそうであった/\。この理分かれば、万事分かるやろ。ほんにそうやと、皆々心持ってくれるよう、と。

副会長畑林為七を以て会長に選定御許し願
さあ/\事情々々、尋ねる事情/\は皆々それ/\、一時の事情には何たるとそれそれ思うやろ。又思わにゃならんが、順序諭したる、一二年前なら、どうも何とも分かり難ない。そも/\事情ならん/\。どうも/\何とも事情諭しも出けん/\事情であろ。なれど、あちらこちら尽して運んだ処、日々受け取りある処、一時ならん処、ほんにとそれ/\満足与え、又めん/\も満足。よう聞き分け。後々将来末代の理に受け取ったる。後々の処、道順序理、万事何かの順序許し置こう/\/\。

山田作治郎長女と畑林為七男子と縁談事情願
さあ/\だん/\事情尋ねる。皆々の心も一つの道。尋ねる事情、理の集まりた処一つ理。道は一つなら、いかな事情も一つの道。事情は万事委せ置こう/\。
【説明】
(1)山田作治郎氏 本部員・南海大教会初代会長。 明治三十一年末より身上すぐれず、翌三十二年十月長男重道(当時一年一カ月)が出直す。あとゆきのとゆの二女が残った。跡嗣を失い心痛の祭、副会長畑林為七氏は長男清治郎氏を山田家の嗣子に差し上げることを約す。明治三十三年一月作治郎氏は出直した。享年四十一歳。 (2)作治郎会長出直し後の悲嘆の中、兄弟皆が集まったが、万事理に添うようつとめたいというのは結構である。しかしこれからの道中にはどんな日もある。朝天気で午後から曇る日もある。どんな中も集まってくれるなら親神は受け取るほどに。末代の理に治まるほどに。すべて己一人でできるものではない。皆が力を添えて育ってきたのである。この理合いがわかれば、何事についても万事理解がつくであろう。なるほど、そうだと皆その心を持ってもらいたい。 (3)山田作治郎氏長女ゆきの姉と畑林為七氏の長男清治郎氏との縁談について願 (4)ゆきのに婿養子として畑林清治郎氏を迎えたいというが、皆の心が集まり理が集まったことである。理が集まったことならば道は一つである。思い通り運ぶがよい。  両人の結婚式は明治三十九年四月二十三日行われた。のち清治郎氏は三代会長となる(「南海大教会史・第一巻」参照)。 \n\n(1) 皆が心を寄せ合ってくれるなら、その心は親神が受け取る。そして、それはきっと末代の理に治まる。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。 \n\n (1) 出直しはすべて、その人のいんねんに基づいて、親神のなさることである。出直してもまた、この世に生まれかわらせていただくのであるから、この事情を一つのふしとして神意を悟り、よくそれを心に治め、たんのうして勇んで通ることが大切である。 (2) 親神は早く出直すところを、その人の心定めに応じて、引き伸ばしてくださったり、また身代わりの出直しをさせてくださることがある。いずれも親神の守護によるものである。 (3) 出直しという事情に際しては、お互いに淋しい思いをさせず、皆が心を寄せ合い、たすけ合っていくことが大切である。 (4) このお道は将来末代の理であるから、どんな難儀不自由の中も、将来を楽しんで勇んで通っていくことが肝要である。

TOP


お道のツール