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東分教会長上原佐助大いに咳強く身上の願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\尋ねる処/\、身上が重々一つ心得ん。心得んは日々であろ。前々ほのか事情諭したる。余程年限通り、今日という日が無い/\。追々通りたる中、追々通りた楽しみ無くばならん。前々ほのか事情諭したる。一時どういう理でなろまい。急げば急ぐ。なれど、よう聞き分けて、心どっさり定め。いつ/\までこれで動かんという心定め。心定めば、何時なりと順序聞き分け。所あちらから治まり、人を以て治めたる。今日尋ねたらこういうさしづありた、と、何時なりとこうと言うたら、何時なりと又こういう事になると、役々集め、話し合い、だん/\心集め、道理として治まらにゃならん/\。よう聞き分け。身上案じる事要らん。案じてはならんで。

同家内つね出けものに付願
さあ/\皆々身上に掛かるで。出物という/\出物から思やんせい。どれだけどうしたて長い年限やない/\。旬移りたる。諭さにゃならん。一時ならん/\が一つ一つ道理見て、これ日が遅れたる。
【説明】
(1)-この年、上原佐助氏五十一歳。前の身上より四カ月後再び以前と同様な身上にかかったので伺う。 (2)前々からそれとなく諭してあるおぢば伏せ込みの事情は、なかなか容易なことではないが、理を聞き分けて心をどっしり定め、いついつまでも動かぬという心を定めてかかれば、あちらもこちらも心がかりのことが治まるようになるから役員を集めて談じ合い、だんだん心を集めよ。そうすれば道理として治まるであろう。身上は決して案じることはいらん。 (3)つねの賜物の障りからよく思案せよ。家族共々おぢばに入り込む旬も近づいている。そう長い年限ではない。その心づもりでいるよう。
【摘要】
親神の深い思惑から身上・事情にお手入れをいただき、道に引き寄せられ、更に一段の成人を望まれると、旬がくるや待ったなしに道一条にならざるを得ない。この道一条の具体的な形として、教会入り込み(住み込み)ということになる。  飯降伊蔵様はじめ、教祖のおそばにお仕えなされた道の先輩先生方は、はじめ道に引き寄せられて遠方から通われるうちに、だんだん道のご用も繁くなり、徐々におやしき入り込みとなられた方が多い。ここには、」その中のごく一部のおさしづを採録したに過ぎないことをお断りしておきたい。  さて伊蔵様は、元治元年入信以来おやしきへ通われた。 「丸九年という/\。年々おお晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来るものもなかった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\髄いて来てくれたと喜んだ日ある。」(明治34.5.25)  飯降伊蔵様は教祖から親子揃うて早くおやしきへ帰ってくるよう、たびたびお言葉をいただかれたにもかかわらず、道のどん底時代のこと、秀司先生ご夫妻への気がねもあり、親子もろとも移り住むことは教祖にご心配をかけることになるとて逡巡せられたという。しかし明治十四年伊蔵様の家族の身上障り(伊蔵様の腰痛、二女まさえ姉の眼、政甚氏のにわかに口がきけなくなった障り)によって、いよいよ心定めせられ、伊蔵様ご自身が櫟本を引き払っておやしきへ伏せ込まれたのは明治十五年三月であった。伊蔵様五十歳、おさと様四十九歳の時である。かくのごとく伊蔵様は入信以来二十年間櫟本から通われ、その後おやしきへ伏せ込まれることになった。本稿の「教会入り込み」事情の中には、伊蔵様のおやしき伏せ込みについては触れていない。  ところで、教会入り込み(住み込み)事情に関しては、 一、 おやしき入り込み 二、 地方教会入り込み の二つに分けることが出来る。また、教会へ入り込みをする立場の者と、それを迎える側の立場とある。  ここで前掲おさしづによって要約すると、次のことが言えると思う。教会入り込みにあたっては、 (1) 一つの理(親神様の思召)を心に治めること (2) 元一日を忘れず将来末代道のご用に勤めさせて頂くという決心を固めること (3) 住み込み人は理を積み重ねなければ、教会に置いてもらいたいと思っても置いてもらえないこと (4) おやしきに入り込ませていただく者は、どれほどの理がある者でも、ぢばの理が心に治まらねば駄目になること (5) 入り込み人を迎える立場の者は、一つの理(親神の思召)を心に治めてそだててもらいたいということ このような点を心して通るよう仰せられているよう拝察する。これは道一条を通る者の心すべき点、すなわちいんねんの自覚とその洗いかえ、まただめの教えたるゆえんを、よく心に治めるという点に帰するものであろう。(金子圭助)

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