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東分教会長上原佐助五十一才身上肺炎に付願
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情はもう余程大層。尋ねる事情どうでもこうでも尋ねる。身上々々迫り切って了い/\、もうこれまでも理を急いで掛かりたる。十分遅れてある。あちらこちら、取締まり出越して居る。さあ身上どういう事、たんのう十分の理に諭さにゃならん。たんのう諭す。万事遅れてある。これまで急いだ処からたんのう。後々の理諭し置く。今一時身上迫り切ってある。存命を見て、立ち並ぶ人の心に取って、堪えられんであろう。取り違いあってはならん。よう諭さにゃならん。善き事なら言う事無い。聞く。見る。安心はなろうまい。尋ねる処、人の心に諭し置く。後々悠っくり諭し置く。急いだ処たんのう急ぐ。たんのうさして、順序聞いて、後々でなければ分からん。十分の理を諭し置く。
押して、運び方に付心得のため願
さあ/\後々の話、後々の理一時迫る処、一つたんのう/\。そういう理は、後々でなければ及ばん。早く一つ頼って/\。
又押して、本部より前以て山沢為造、高井猶吉出張して居りますが、尚この際もう一人本部より出張致したものでありますや願
さあ/\早く一時立ち寄ってやれ。後々皆々頼りになるで。成るだけ急いでたんのうさすがよい。第一どういうこういう事は、後々の事、身上一つの処でたんのう治まりて、先々までも治まるという。
押して、運び方に付心得のため願
さあ/\後々の話、後々の理一時迫る処、一つたんのう/\。そういう理は、後々でなければ及ばん。早く一つ頼って/\。
又押して、本部より前以て山沢為造、高井猶吉出張して居りますが、尚この際もう一人本部より出張致したものでありますや願
さあ/\早く一時立ち寄ってやれ。後々皆々頼りになるで。成るだけ急いでたんのうさすがよい。第一どういうこういう事は、後々の事、身上一つの処でたんのう治まりて、先々までも治まるという。
【説明】
上原佐助、東大教会初代会長。 身上どういう事かというと、たんのうを十分の理にさとさなければならない。たんのうをさとす。これまで、親神様が急いだところから思案すれば、万事遅れてあるから、、たんのうして早く神意に添うように、今後の通り方についてさとしておく。という意味で、肺炎は、たんのうして神意とすれ合わぬようにせよということを指示されたのであろう。 \n\n (1) 上原氏は四月五日から発熱、六日朝肺炎と診断された。 (2~3)身上はいささかの油断も出来ぬほど迫りきっている。すべての処置が遅れているから、教会の者たちはその処置を早く選ぶよう。教会に出越している者たちは、見たり聞いたりすることが思うようにならぬゆえ、さぞ焦立つこともあろうが、会長の身上を通して十分たんのうの心を治めてくれ。また存命時代から互いに立ち並んで勤めてきた同志の人たちには、今身上が迫りきっているのを見聞きしては堪えきれぬ思いがするであろう。しかし取り違いがあってはならん。たんのうして心を治めるよう。 (4)事情の運び方について伺う (5) 今、具体的のことを、とやかく言っている場合でない。早く治めてくれるよう。 (6) 山沢、高井両氏が本部から出張しているが、この際もう一人本部より出張したものでしょうかと伺う。 (7) 早く立ち寄ってやれ。皆があとあとたよりになるで、なるだけ急いで行ってたんのうの理を治めさせてやってくれ。梅谷四郎兵衛、島村菊太郎両氏が出向いた。東分教会で本部から出向いた先生方により役員一同へお諭しくだされたので、会長おぢば引き上げにつき詰所本館の建築を急ぐこと、今後分教会の方は役員が責任をもって、万事上原会長に心配かけないこと、上原会長が本部員に昇格されたお祝いをさせていただくことなど心定めをし一同心を合わせてお願いづとめをすると、上原会長の身上に不思議な御守護が現れ、一命をつなぎとめることが出来た。
上原佐助、東大教会初代会長。 身上どういう事かというと、たんのうを十分の理にさとさなければならない。たんのうをさとす。これまで、親神様が急いだところから思案すれば、万事遅れてあるから、、たんのうして早く神意に添うように、今後の通り方についてさとしておく。という意味で、肺炎は、たんのうして神意とすれ合わぬようにせよということを指示されたのであろう。 \n\n (1) 上原氏は四月五日から発熱、六日朝肺炎と診断された。 (2~3)身上はいささかの油断も出来ぬほど迫りきっている。すべての処置が遅れているから、教会の者たちはその処置を早く選ぶよう。教会に出越している者たちは、見たり聞いたりすることが思うようにならぬゆえ、さぞ焦立つこともあろうが、会長の身上を通して十分たんのうの心を治めてくれ。また存命時代から互いに立ち並んで勤めてきた同志の人たちには、今身上が迫りきっているのを見聞きしては堪えきれぬ思いがするであろう。しかし取り違いがあってはならん。たんのうして心を治めるよう。 (4)事情の運び方について伺う (5) 今、具体的のことを、とやかく言っている場合でない。早く治めてくれるよう。 (6) 山沢、高井両氏が本部から出張しているが、この際もう一人本部より出張したものでしょうかと伺う。 (7) 早く立ち寄ってやれ。皆があとあとたよりになるで、なるだけ急いで行ってたんのうの理を治めさせてやってくれ。梅谷四郎兵衛、島村菊太郎両氏が出向いた。東分教会で本部から出向いた先生方により役員一同へお諭しくだされたので、会長おぢば引き上げにつき詰所本館の建築を急ぐこと、今後分教会の方は役員が責任をもって、万事上原会長に心配かけないこと、上原会長が本部員に昇格されたお祝いをさせていただくことなど心定めをし一同心を合わせてお願いづとめをすると、上原会長の身上に不思議な御守護が現れ、一命をつなぎとめることが出来た。
【摘要】
親神の深い思惑から身上・事情にお手入れをいただき、道に引き寄せられ、更に一段の成人を望まれると、旬がくるや待ったなしに道一条にならざるを得ない。この道一条の具体的な形として、教会入り込み(住み込み)ということになる。 飯降伊蔵様はじめ、教祖のおそばにお仕えなされた道の先輩先生方は、はじめ道に引き寄せられて遠方から通われるうちに、だんだん道のご用も繁くなり、徐々におやしき入り込みとなられた方が多い。ここには、」その中のごく一部のおさしづを採録したに過ぎないことをお断りしておきたい。 さて伊蔵様は、元治元年入信以来おやしきへ通われた。 「丸九年という/\。年々おお晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来るものもなかった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\髄いて来てくれたと喜んだ日ある。」(明治34.5.25) 飯降伊蔵様は教祖から親子揃うて早くおやしきへ帰ってくるよう、たびたびお言葉をいただかれたにもかかわらず、道のどん底時代のこと、秀司先生ご夫妻への気がねもあり、親子もろとも移り住むことは教祖にご心配をかけることになるとて逡巡せられたという。しかし明治十四年伊蔵様の家族の身上障り(伊蔵様の腰痛、二女まさえ姉の眼、政甚氏のにわかに口がきけなくなった障り)によって、いよいよ心定めせられ、伊蔵様ご自身が櫟本を引き払っておやしきへ伏せ込まれたのは明治十五年三月であった。伊蔵様五十歳、おさと様四十九歳の時である。かくのごとく伊蔵様は入信以来二十年間櫟本から通われ、その後おやしきへ伏せ込まれることになった。本稿の「教会入り込み」事情の中には、伊蔵様のおやしき伏せ込みについては触れていない。 ところで、教会入り込み(住み込み)事情に関しては、 一、 おやしき入り込み 二、 地方教会入り込み の二つに分けることが出来る。また、教会へ入り込みをする立場の者と、それを迎える側の立場とある。 ここで前掲おさしづによって要約すると、次のことが言えると思う。教会入り込みにあたっては、 (1) 一つの理(親神様の思召)を心に治めること (2) 元一日を忘れず将来末代道のご用に勤めさせて頂くという決心を固めること (3) 住み込み人は理を積み重ねなければ、教会に置いてもらいたいと思っても置いてもらえないこと (4) おやしきに入り込ませていただく者は、どれほどの理がある者でも、ぢばの理が心に治まらねば駄目になること (5) 入り込み人を迎える立場の者は、一つの理(親神の思召)を心に治めてそだててもらいたいということ このような点を心して通るよう仰せられているよう拝察する。これは道一条を通る者の心すべき点、すなわちいんねんの自覚とその洗いかえ、まただめの教えたるゆえんを、よく心に治めるという点に帰するものであろう。(金子圭助)
親神の深い思惑から身上・事情にお手入れをいただき、道に引き寄せられ、更に一段の成人を望まれると、旬がくるや待ったなしに道一条にならざるを得ない。この道一条の具体的な形として、教会入り込み(住み込み)ということになる。 飯降伊蔵様はじめ、教祖のおそばにお仕えなされた道の先輩先生方は、はじめ道に引き寄せられて遠方から通われるうちに、だんだん道のご用も繁くなり、徐々におやしき入り込みとなられた方が多い。ここには、」その中のごく一部のおさしづを採録したに過ぎないことをお断りしておきたい。 さて伊蔵様は、元治元年入信以来おやしきへ通われた。 「丸九年という/\。年々おお晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来るものもなかった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\髄いて来てくれたと喜んだ日ある。」(明治34.5.25) 飯降伊蔵様は教祖から親子揃うて早くおやしきへ帰ってくるよう、たびたびお言葉をいただかれたにもかかわらず、道のどん底時代のこと、秀司先生ご夫妻への気がねもあり、親子もろとも移り住むことは教祖にご心配をかけることになるとて逡巡せられたという。しかし明治十四年伊蔵様の家族の身上障り(伊蔵様の腰痛、二女まさえ姉の眼、政甚氏のにわかに口がきけなくなった障り)によって、いよいよ心定めせられ、伊蔵様ご自身が櫟本を引き払っておやしきへ伏せ込まれたのは明治十五年三月であった。伊蔵様五十歳、おさと様四十九歳の時である。かくのごとく伊蔵様は入信以来二十年間櫟本から通われ、その後おやしきへ伏せ込まれることになった。本稿の「教会入り込み」事情の中には、伊蔵様のおやしき伏せ込みについては触れていない。 ところで、教会入り込み(住み込み)事情に関しては、 一、 おやしき入り込み 二、 地方教会入り込み の二つに分けることが出来る。また、教会へ入り込みをする立場の者と、それを迎える側の立場とある。 ここで前掲おさしづによって要約すると、次のことが言えると思う。教会入り込みにあたっては、 (1) 一つの理(親神様の思召)を心に治めること (2) 元一日を忘れず将来末代道のご用に勤めさせて頂くという決心を固めること (3) 住み込み人は理を積み重ねなければ、教会に置いてもらいたいと思っても置いてもらえないこと (4) おやしきに入り込ませていただく者は、どれほどの理がある者でも、ぢばの理が心に治まらねば駄目になること (5) 入り込み人を迎える立場の者は、一つの理(親神の思召)を心に治めてそだててもらいたいということ このような点を心して通るよう仰せられているよう拝察する。これは道一条を通る者の心すべき点、すなわちいんねんの自覚とその洗いかえ、まただめの教えたるゆえんを、よく心に治めるという点に帰するものであろう。(金子圭助)