おさしず検索
城島分教会長山田伊八郎及び妻こいそ並びに役員二三人身上障りに付願
さあ/\尋ねる事情/\、身上に一つ事情さあ又だん/\それ/\替わり/\、いかな事と思う、事情尋ねる。いかな事情と思うかな/\。事情から理を尋ねる、尋ねるは一つさしづしよう/\。よく聞いて置かにゃならん。これまでという、道筋という、道すがらという、どんな事もだん/\善い事も立ち、悪い事も立ち、善い事悪い事、中に、どうなろうという道もあった。この道よう聞き分け。どもならん中に、善い方/\あれば、又、悪しき方/\入りある。縺れ/\/\、順序道筋あったであろ。なれど、真実決まりた理、真実の理が残り、その理に添うて、一時道筋、皆だん/\満足見て治め。身上切なみから見れば、どうなろうというようなもの。これも思わく/\。身上案じる事要らん。これより皆心を合わして、だん/\真実供えて勤めば、どんな事も出来る。自由、又中にどういう風、こういう風も折折吹く。風の便り聞く。善き風あれば又引き風もある。善き風に添うて通れば善い日が来る。だん/\楽しみ一つ諭し置こう。
上村の家内の処子供貰うて後継がしたものでありましょうかという処から、何分庄作があるからそのまゝにして置いて宜しいかという処心得まで願
さあ/\尋ねる事情/\、眺めてみればどうであろ。聞いてみればどうであろ。その心にあるが理や。なれど、そらどうもならん。親の事情から子の事情。善き事栄えるは何も言う事は無い。なれど、悪い事栄え、何程どうしてやろ、こうしてやろうと思うたて、めん/\の心より取り返やしはならん。皆諭した処が是非無く、めん/\心悔やみ、そこで善いという処がじいとするがよかろ。寄せた処がじいと寄り難くい。可哀そうな者と、優しい処以て治め。又一名悪説出した理は、遁れるに遁れられん。めん/\になる事是非無く事である。これだけ心に持って、順序道通りてくれるよう。
上村の家内の処子供貰うて後継がしたものでありましょうかという処から、何分庄作があるからそのまゝにして置いて宜しいかという処心得まで願
さあ/\尋ねる事情/\、眺めてみればどうであろ。聞いてみればどうであろ。その心にあるが理や。なれど、そらどうもならん。親の事情から子の事情。善き事栄えるは何も言う事は無い。なれど、悪い事栄え、何程どうしてやろ、こうしてやろうと思うたて、めん/\の心より取り返やしはならん。皆諭した処が是非無く、めん/\心悔やみ、そこで善いという処がじいとするがよかろ。寄せた処がじいと寄り難くい。可哀そうな者と、優しい処以て治め。又一名悪説出した理は、遁れるに遁れられん。めん/\になる事是非無く事である。これだけ心に持って、順序道通りてくれるよう。
【説明】
(1) 上村吉三郎氏 本部員・敷島大教会初代会長。 大和国十市郡倉橋村総代や村会議員をつとめた。吉三郎氏は足の骨折を山田こいそ姉(山田伊八郎氏の養女)よりたすけられ入信。心勇講講元となるや、講の統率に力を注ぎ活躍した。明治二十八年五十八歳にて出直し後、敷島部内の事情起こり、かつ嗣子庄作氏の素行定まらず二ヵ年間無担任のまま経過した。明治三十年増野正兵衛氏が整理員として整理に当たり、明治三十二年に心勇組の創始者山田伊八郎氏が会長に任命された。翌明治三十三年上村家のあとを、どうするかにつき伺った。 (2) 上村家の後嗣問題について、どうするかという伺いであるが、見たり聞いたりして心にかかるのは理である。けれどどうにもならぬ。吉三郎出直し後の離反問題から庄作の事情、よいことが栄えるのは結構であるが、悪いことができて、周囲の者がいくらこうしてやろう、あ―してやろうと思っても、当人の心の入れ替えができねば取り返しはできぬ。皆当人に諭してやっても、聞き入れなければやむを得ぬことである。当人自身己が心を悔やまねばならぬ。皆よいと思うことがあっても放ってておくがよかろう。養子をもらおうにも養子は来にくい。庄作は可哀想な者であると、優しい処置で治めてもらいたい。 上村庄作氏は昭和十一年六十一才で出直した。
(1) 上村吉三郎氏 本部員・敷島大教会初代会長。 大和国十市郡倉橋村総代や村会議員をつとめた。吉三郎氏は足の骨折を山田こいそ姉(山田伊八郎氏の養女)よりたすけられ入信。心勇講講元となるや、講の統率に力を注ぎ活躍した。明治二十八年五十八歳にて出直し後、敷島部内の事情起こり、かつ嗣子庄作氏の素行定まらず二ヵ年間無担任のまま経過した。明治三十年増野正兵衛氏が整理員として整理に当たり、明治三十二年に心勇組の創始者山田伊八郎氏が会長に任命された。翌明治三十三年上村家のあとを、どうするかにつき伺った。 (2) 上村家の後嗣問題について、どうするかという伺いであるが、見たり聞いたりして心にかかるのは理である。けれどどうにもならぬ。吉三郎出直し後の離反問題から庄作の事情、よいことが栄えるのは結構であるが、悪いことができて、周囲の者がいくらこうしてやろう、あ―してやろうと思っても、当人の心の入れ替えができねば取り返しはできぬ。皆当人に諭してやっても、聞き入れなければやむを得ぬことである。当人自身己が心を悔やまねばならぬ。皆よいと思うことがあっても放ってておくがよかろう。養子をもらおうにも養子は来にくい。庄作は可哀想な者であると、優しい処置で治めてもらいたい。 上村庄作氏は昭和十一年六十一才で出直した。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。 ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。 おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。 ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。 おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。