おさしず検索


本席身上俄かに胸なり腹背痛み、それより刻限のお話

ウヽヽヽヽヽヽ、ウン、さあ/\、静かに/\/\、さあ/\静かに/\。たゞただどうものう、どうも/\のう、何たる事ぞのう/\。さあ/\暫く/\の処々、口を借りて/\言うで。口を借りて言うで。とっと/\、とこぎり言うで/\。これと/\/\/\/\。

さあ/\水車のように思て居てはならん。水を外したら止まるやろう。水さえ仕掛けたら回るやろ/\、一日二日なりと回るやろ。これ同じ事、道理ではなろまい。このやしきの始まり、何と思うてる。このやしき僅かのやしきだん/\あちらこちら育て上げ、増すばかり/\。取り難くい所から取らし/\、一寸やしきの形出け/\、それよりどんな者も楽しむ。楽しむやろ、世界不思議と思う。あちら広なり、こちら広なり、自由という。人間心で自由出けるか。よう思案してみよ。何も無い処から、二十年三十年六十年の道理聞き分け。広く成ったさかいに要り用無いやしきは広めんで。どうぞこうぞあちらこちら出け掛けたるやしきや。そこで、皆んなよう思案せにゃならん。尋ねりゃ尋ね、と言うたて、尋ねやせん。たゞ一人も何の答無いから諭し掛ける。よう聞き、くれ/\聞き分け。さあ、もう何ようの事も、どういう事も、皆神一条と言うて、毎々言うて聞かし、神一条の道なら神一条の心に成ったら。どうぞ成ろうと言うて、成らん。一寸龍頭摘もんで、網を打ったようなもの。龍頭の中の魚、逃がそうか取ろうか。やしきの中というは、澄んで/\澄み切らねばならん。このやしきは、一人力で出けた道やない、道やあろまい。艱難から組み上げたる道。よう聞き分け。それ/\見分けてくれにゃならん。たゞ車の水仕掛けたら、独り回る車のように思てはなろまい。そんなら、あちらこちら建て掛け建て替え、中へ入って居て、何の不足やろと思う。綺麗な所へ住居して、何不足無い。何不自由無いと思うやろ。心というもの、むさくろしい中に居るも同じ事やで。むさくろしい中に居るも同じ事やで。そのむさくろしい中に居る者、どういう事であろうと思うか。よう聞き分け。連れて戻りたその時は、何の構えも無い所へ連れて戻りた、連れて帰りた。どれからこれ、たゞ一つの道理、一つの理。人間一つの心見抜いて、楽しめ/\と言うて、よう/\の事で満足与えたは、大工である/\。大工が与えてくれた。
これ/\連れて戻りた。大工無かったら、満足無くして暮れて了わにゃならん。小さい/\入れ籠/\、小さい入れ籠。その時というものは、八方無い理を始めたんであるから、なか/\ようこの理を取ってくれにゃならん。神一条と言うたる/\。神一条でありゃこそ出けた。人間心で出けたんやない。神一条で出けたんなら、心分からにゃならん。人間心は知らんもの。神一条の者なら、誰も知って居る。年限の道理から治めて行って居る。人間心からあちらぶっ付け、こちらぶっ付け、そら神の道の住家と言えようまい。さあ/\いつの/\いつの話、こういう一つさしづあった、どういうさしづあった、一つ/\の理を諭してくれる者一人も無い。まあこれから話するによって、動き取れるか取れんか、後へ退かるか退かれんか。道理伝えて話すればよい。出来ねば、暫く人間思うようにするがよい。

なあ、善い事した者は言いよういゝもの。道理に適わん事したら、言われん/\。放って置いてはならん。知らん者へ身が悩んで、日々働き出けんようになったら、どうするか。吐き出さにゃならん、吹き出さにゃならん。何処から攻め掛けるぞ。さあ/\なあ、もうどういう話ある、こういう話/\ある。もう聞かさるやろと、待って居た分にゃどうもならんで。どういう道具悪くなって了たら、使うと言うても使わらせん。今日朝から勢良うして居たのに、又候どういうものやろ。又出来たそうな。今日一日どうやろ。もう明日から出けるそうなものと、皆楽しみ/\。姿が見えて、あらどういうものぞ/\。めん/\所で道具を拵え、名称を拵え、多く道理から、皆々部下々々、部下は一つ親と成って取り締まって居る。だん/\理によって、又、それ/\は多く中なら、人々所々出して運んで居る。又、あちらから何人、こちらから何人、百人二百人連れて戻る、連れて帰る。皆んなあちらへ諭しに歩き、こちらへ諭しに歩き、部下から成らん中楽しんで、親順序聞いて増して来るは、人間勝手々々こらならん。もう行く所あろか。思案してみよ。親分教会何ぼあるぞ/\。支教会出張所、一つ派出所という。親という。親兄という、何時でも仕掛けたる。どん/\仕掛けたら、前々諭してある。車の如く、日々働いて居れば、やれ/\国々戻る/\。やれ行てこうか、参ってこうかと、追々人間が増すばかり、機械外したら、回らんとなったらどうするか。神の残念出ては回らせん/\。残念は容易で出やせん。なれど、自業自得ならどうもなろまい。一日休んだくらい何処へも知らせん。今日の処明日になるだけなれど、だん/\続けば、今日か明日かと幾日待つ。五日待つ十日待つ。この理はどうなるか。なってからどうもならん。ならん先から修復さえして積み立てば、なか/\、長らく連れて通らにゃならん、通さにゃなろまい。未だ/\二年三年、五年十年連れて通らにゃならん。半ばである。水切っては中弛み来る。中弛みしてはどういうもの。何でもあの心一つ、めん/\神を怨みて、世上にある。中弛みというは、世上の仇に肥をするようなもの。これだけ話して置けば、ほんにそうである/\。人はどうでも、めん/\一人なりと、神一条の道より無いと治めてくれば、神一条の理ある。皆手を打って勇んでくれるがよい/\。おらもうよいもうよいと言うは、手打ってくれるに及ばん。よう聞き分け。これまでさしづ/\ばかり聞いて、さしづ守らにゃならん。守らにゃ神を騙したようなもの。良い事は取って、後腐らしてほかして了たも同じ事。存命教祖の道、あれも変えにゃならんこれも変えにゃならん、というは、神の残念々々。よく聞き分け。残念やわい/\。
さあ/\これもどれもいかんと言うなら、隠して了え。出しさえせにゃ、せんで治まったる。たゞ聞いていかんと言うは、待って置くが理/\。やって置けば同じ事。やって行けば、改まった心、何処が治まるか。

なあ、これ/\よう聞き分け。月次祭々々々と言うて、皆楽しんで来る。楽しんで参る/\と言うて、所々月次祭楽しんで来るは、道の土台である/\。何邪魔になる。邪魔になれば、道伏せ替え出けやせん/\。道変わりて了う。変わった事、世上にやり掛けた事行きゃせん。この道人間心で色品変えてやってみようと思たとて、そりゃ行きゃせん。どちらやらこちらやら、掛かりというは、どちらからも、人間分からん処から出るはどうもならん。なれど、日柄経ったら枯れて了う。草葉の中見れば、いつになっても変わらん/\。心そも/\あって、こうせにゃいかんどうせにゃいかんというは、遂に中弛みがあってならん。中弛みあってから、どうもならん。よく土台を固めてくれ。台の元から始まり、元から数々出けた。元はたゞこれ一つ、この一つ理あちらへ捻りこちらへ捻り、あちらへやり替えこちらへやり替え、やったて行きゃせん。行く道理無い。一つの元に幾つもある道理無い。ある筈が無い。さあ/\間違い/\、取り違いは取り違い、皆同じ道理なら、神の理一つより無い。一つの道理なら、一つ何時なりと皆思うよう自由々々与える。聞いて聞かずに居るも同じ事や。さあ/\もうこれだけ話、容易ならん話/\、容易ならん話なら、容易ならん心定めてくれ。さあ/\もう最前からだん/\伝えた/\。もう話々の角目というものは、言うまで。初め土台から始めて、皆、子供連れて帰る処まで話して、これより話の仕様があらせん。心合わなんだら、そら車の水を外すようなもの。水を外したら車回らせん。こゝまで話して置くによって、皆々定めてくれ。
【説明】
本席様の口をかりて、存命の理の教祖が本席様に入り込む。 世界の者が不思議と思うようにあちらが広くなり、こちらが広くなり、自由自在の御守護をいただいているが、人間心で自由自在の御守護がいただけるか、良く思案してみよ。 皆神一條といって、毎夜々々云って聞かしてある。神一條の道ならば、神一條の心になったら御守護いただけるのであって、丹精せずにどうにかなるであろうと云っていてはならない。丹精の理がだんだんにつもったから、網を打ったように、沢山の人々がお屋敷に帰参するようになったのである。こうした人々は竜頭(投網のにぎるところ)にはいった魚みたいなもので、にがそうかとろうか、思いのままである。こうした結構なお屋敷は十分澄みきらなければならぬ。此の屋敷は一人の力で出来た道ではない。教祖が、又それに続く先輩の人々が艱難苦労した結果出来た道である。このことをよく、聞き分けて、お屋敷に居る者は各自丹精しなければならない。ただ自然にまわる水車のように思ってはならない。 お屋敷に伏せ込まれた大工(本席様)がなかったら、教祖は満足されずに、御身をおかくしにならなければならなかった。かねてより神一條と云うているが、神一條であればこそ出来たので、人間心で出来たのではない。 人間心から、お互いになかたがいしていては、神の道の住家とは云われないであろう。 お屋敷に居る者が車のように、日々働いていれば、国々より信者が帰参するようになり、やれ行ってこうか参ってこうかと、追々人間が増すばかりである。 国々処々より月次祭をたのしんで、お屋敷に帰って来るのは、道の土台である。此の道は神一條の道であるから、人間心で、いろいろ手を変え品を変えてやってみようと思っても、それはうまく行きはしない。 元はただ一つ教祖五十年のひながたである。間違いはどこまでも間違いであり取り違いはどこまでも取り違いである。間違いも取り違いも、皆同じ道理ならとんでもないことである。神の理一つより他にない。一つの道理ならば、何時でもみなこの道理を思うように。そうすれば自由自在の守護をあたえる。 最初、土台(教祖のひながた)よりはじめて今日信者を連れて、お屋敷にかえるところまで話しして、これより行きとどいた話のしようがないが、しかし、心が合わなかったら水車の水をはずしたようなもので、親神様の御守護はいただけない。
【摘要】
胸腹背の痛みは、神一條に徹しきれないことに対する、親神様の非常な残念さ、もどかしさのためであると思う。神一條の筋金をいれよという、切なる神意を示していられると悟られる。

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