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梶本楢治郎以前の事情申し上げ、宮田善蔵の娘カナ二十才縁談事情願

さあ/\尋ねる事情/\、事情もだん/\あって、一時尋ねる。事情という、だんだん長らく道すがらという。道理一つ理、余儀無く尋ねる処、余儀無く理は取り入って事情運んでくれてもよいが、又掛かり合いというは、又いかないんねんという。この理聞き分け。それより精神。精神の理より受け取る処無いで。よく聞き分け。何年以前あと、世界から見たら十分と思うた理であった。なれど、どうもならん。人に楽しみ、楽しみあって銘々この世の住家という。楽しみ無くば行こまい。無理出けん。無理して一つの理は行こまい。無理して立つか立たんか。人に無理は立てようと言うた処が、どうもならん。又何年以前、何年間互い行き違って、年限経ったる。年限のこうのうという理無くして、集まれそうな事は無い。これ一つよう聞き分け/\。どうでもこうでもと思うたて、こうのう無くして治まるか、治まらんか。皆一名一人思案してみるがよい。人々の心で、順序道すがら、日々行いを第一。行い無くして、こうのう無くして、いつまで待ったてこうのうあらせん。これを一つ台として、年限二年三年ほんの生まれ更わり、互いなあと年々内々通り抜けたら、こうのうと言う。一夜の間にも入れ替え、入れ替えしたら受け取る、と話の理も諭したる。これ知らずして、通りてはどうもならん。口でどのような事唱えたとて、心に行い無くして神が受け取り出けん。これ聞き分け。尋ねる理、又捨てたもの、引き上げる者も無くばならん/\。人間一代作り上げるという処から、掛かってくれるがよい。

押して、それでは両方へ運びまして、分教会にて治めさして頂き度しと願
さあ/\尋ねる処/\、それもよいが、皆よう聞き分けにゃならん。人の義理に詰まって、こうとあってはならん。先々という心持ってしてはならん。いんねんの為す事、いんねん無くば通られやせん。神の話聞いて、親の理なら精神真実心という。常々なら真に聞き分け。いんねんという。一つ理聞き分けにゃならん。又々親こうと言えど、又人と言う。どうなってもこうなってもと言う。一つ堅くば夫婦中と言う。この理聞き分け。無理と言うてはならん。無理無くそれから結び、結構と言うて通り抜けるは、真実真の道/\。これだけ話して置くによって、真にこれならという、人に勧めらるさかいにと言うてする事はよいと思えども、いかんなあと思てはいかん。これだけ諭したら、縁談は尋ねる事要らんもの。神に理に治まったら、縁談尋ねる事も無い。捨てたもの引き上げて、作り上げるという心持ってくれにゃならん。

又押して、先方の方へ精神を尋ね双方治まったら御許し下されますや
さあ/\先方の方へ、順々道理運び、又先の心一時心にて義理という理は、後のためにならん。義理は後のためにならん。そこで寄る夫婦の中、親こうと言えど、いかん縁談もある。親こうと思えども、子に縁談事情あるで。これだけ諭したら十分という。

又押して、親より本人なり治まったら運ばして貰うたら宜し御座りますや願
さあ/\皆尋ねるから諭したる。諭しは間違わんよう。親一つ理、義理は先のためにならん。一寸話今義理という。これは一人やない/\。人の義理掛け、縁談に義理掛けてはならん。それはほんの一寸の飾りのようなもの。そこで縁談というは、真の心に結ぶは縁談。又離れ/\寄りてはならん。人間には心という理がある。心合わねば、どうでもこうでもそも/\理。これだけ諭したら、どんな理も分かる。
【説明】
(1) 人間思案の義理につまって「こうする」というようであってはならない。こうすれば先々都合がよいというような心で事を運んではいけない。すべていんねんのなすことである。成るべきいんねんがなかったならば通れるはずがない。 (2) 本人の心はもちろんのこと、親の心が治まることが大切である。義理で事を運ぶことは将来のためにはならない。今ここで義理について言っているが、これは決して一人の問題ではない。縁談に、人間思案に流れた義理をからませてはならない。義理というものは、外見をよくする、ほんのちょっとした飾りのようなものであって、問題にとって重要ではない。縁談は互いの真実の心を結ぶものである。心が離ればなれになっていて、形だけまとめるようなことがあってはならない。人間にとって心の治まりが肝心である。心が合っていなかったならば、いかにしても、それぞれが勝手になってしまって治まるところがない。これだけ諭したら理解できるであろう。
【摘要】
(1) 縁談には何よりも二人の心と心が寄り合い、通い合っていることが大切である。 (2) 神の理に基づいて事を決め、それを生涯末代までもと思い定めてかかることが肝要である。 (3) 縁談とはいんねんあって結ばれるものである。だから互いに心を寄せ合い、つなぎ合って、将来いつまでも治まっていくもと(基礎)をつくるべきである。 (4) 本人同士は言うまでもなく、双方の親をはじめ、みんなが十分に納得し「やれ嬉しい」という喜びの心の理が合っていることが大事である。そうしてこそ、その縁談は十分なまとまりを見ることができる。 (5) 人間思案の義理や都合から判断して、事を運んではならない。重要なのは互いに、真実の心を結び合うことであって形ではない。 (6) 自ら心治まっているのならば、独身であっても何ら差し支えはない。

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